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2012.10.10「秋の博多 筥崎宮に行ってみました」

寺社56「秋の博多 筥崎宮に行ってみました」

秋の日にぶらりと博多に行ってみました。時間があったので地下鉄で移動できる「筥崎宮」にお参りに。筥崎宮は弐度目の参拝です。博多から市営地下鉄で筥崎宮前まで移動します。駅を出ると目の前に筥崎宮がありました。

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いきなり巨大な鳥居が空に聳え立ちます。ここをくぐってまっすぐ歩くと鳥居が見えてきます。鳥居の両側には狛犬が怖い顔で睨みます。

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石造一ノ鳥居です。NHK大河ドラマの黒田官兵衛の子 黒田長政が慶長14年(1609年)に建立。鳥居の柱は3つに切れ、下肥りとなり台石に続いていま。笠木島木はひとつの石材で、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ。筥崎鳥居といわれる。

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この狛犬に見入っていると結婚式のカップルが通りました。これは運が良いとホクホク。

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幸せになってくださいね。

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「楼門」 小早川隆景が文禄3年(1594年)に建立しました。三間一戸の入母屋造。扉の桐紋彫刻は左甚五郎の作と言われているそうです。「敵國降伏」の扁額は亀山上皇によって奉納された醍醐天皇の宸筆とされています。一般の参拝はこの楼門の下で行なわれこの先はいけません。

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「敵国降伏の御宸筆」は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。 縦横約18センチで全部で三十七葉あるそうです。 社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記録があるそうです。特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有名で、 楼門高く掲げられている額の文字は文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したもの。

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色々とたくさんお頼みします「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」という有名な明治天皇の歌が掲げられていました。

この歌のように広い心を持ちたいものです。

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楼門の前では先ほどの新郎新婦の結婚式を待つのか招待客が待っていました。招待客が待つ後ろに見える松の木が朱塗りの玉垣に囲われた「筥松」です。神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えられたのがこの「筥松」と言われています。「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来しているそうです。

◎筥崎宮
福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1
主祭神 応神天皇 神功皇后 玉依姫命
社格等 式内社(名神大) 筑前国一宮  旧官幣大社 別表神社
創建 延喜21年(921年 )
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。

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2014.10.7「横浜駅前の絶品の焼き鳥や お加代」

「横浜駅前の絶品の焼き鳥や お加代」

昨年に続き、大船の愉快な仲間の誘いに応じて、スペインのオーガニックワイン、シェリー、クラフトビール、日本酒などの試飲会に。 会場の ホテルキャメロットジャパン は既に多くの人たちで賑やかに。我々も参加費を支払い会場に。ここではテーブルの確保が至上命題。つまみは持参していないとつまみなしの酒だけとなります。テーブルを要領よく確保して飲み会の準備完了。初対面の人達とつまみを交換しながらわいわい。

一通り飲み終えたので、早々に二次会に。
どこに行こうかと迷ったあげく、横浜駅西口の狸小路に近い「お加代」に。行愉快な仲間がちどり足で引率です。何度も道に迷って、「つぶれたんじゃないか」と言いながら、たどり着きました。

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ここは、吉田類の「酒場放浪記」でも紹介された店。L字のカウンターに7人座れたらいっぱいな店内に、三人が無理やり入り込みました。

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カウンターに座り、さっそく、メニューを覗き込みます。

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メニューには鳥の串メニューがずらりと並びます。

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店内の天井にもこんなメニューもあります。

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Tシャツには山登りの言葉が、「ご主人山登り?」

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シロ、ネギマ、手羽先、シイタケを注文。特に、ネギマがうまい。

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煮込みも頼んでみました。まいうー。舞うー。踊り出しました。

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飲んでるうちにあんなに混んでいたカウンターもこんな状態に。「いま何時?」「えー、23時半!」
「終電が」

あわてて、店を飛び出して、終電に走る走る

油断大敵。何とかも終電に滑り込みセーフ。

◎お加代
TEL 045-311-2094
住所 神奈川県横浜市西区南幸1-2-2
交通手段 横浜駅から133m

2013.10.17「博多で愉快な仲間夫婦と一杯 酒一番」

「博多で愉快な仲間夫婦と一杯 酒一番」

博多に転勤した愉快な仲間のご夫婦と久々の再会。さて、博多在住の愉快な仲間夫婦に、とっておきの居酒屋に連れて行ってもらおうと思っていたが、「知らないんです。すいません。」「えー」ということで、博多に来たら何軒かある行きつけの一つに連れて行くことに。

博多中洲の春吉橋を渡って、春吉橋東の交差点を那珂川通りに。福博出合橋のところを右折するとその店がある。「酒一番」。
出張で来たときに、ぶらりと夕食を食べに出た時に見つけた居酒屋です。何より、店名が気に入った「酒一番」それ以来、博多に来ると最初に立ち寄る。何せ、水炊き、鶏すき、もつ鍋等が一人前から格安であります。何でもあるといった方がいいかもしれません。

引き戸を開けると大きなカウンターがあります。一人でも気軽にこれます。テーブル席もあります。カウンターに腰かけました。

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つまみは何でもありますぞ。
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定食類も充実だよー。

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まずは湯豆腐。360円。安い

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野菜いため。420円。肉は入ってません。

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茄子のみそ和え

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めざし。一匹食べてしまって、三匹で280円。

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最後は博多名物水炊き。630円。

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カウンターの中ではひっきりなしに店員が動き回ります。大変な人気店。満員御礼です。

すっかり、お腹がいっぱいになり、二次会は那珂川沿いの屋台「もり」にワイワイと繰り出しました。

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博多の夜は長くなりそうです。

「秋の夜に 水炊きで暖 博多の夜」 BY まうんてんぼーい

◎酒一番
郷土料理(その他)、もつ鍋、焼鳥
TEL 092-291-3920
住所 福岡県福岡市博多区中洲4-4-9
交通手段 地下鉄中洲川端駅前 徒歩5分
営業時間 16:30~24:00(L.O.23:30)
定休日 年末年始 (12/31~1/2)

2013.10.17>「博多に来たらラーメンはこの店 鳳凜」

「博多に来たらラーメンはこの店 鳳凜」

博多での最後の締めはやはり博多ラーメン。昔はパドック方式で有名な「一蘭」に行っていたが、あまりにも大きくなりすぎて、味まで大雑把なような気がして最近はこの店に。「鳳凜」。一蘭からの暖簾分けという噂と「昭和41年に創業し、日本で初めて豚骨ラーメンに唐辛子を使い、「唐辛子入りらーめん発祥の店」として注目をあびた」名店の味を継承した店との噂のある店。大雑把な味になった一蘭と違い、こちらはおいしいです。

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さすがに三次会の時間ともなると店もがらがらでした。

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唐辛子たれいりのラーメンです。コクがあってとてもおいしいです。590円。

◎鳳凛 (ホウリン)
TEL 092-716-6755
住所 福岡県福岡市中央区春吉3-21-15
交通手段 地下鉄天神駅から徒歩10分 (約700m)
       地下鉄天神南駅から徒歩2分 (約100m)
       西鉄天神駅から徒歩5分 (約500m)
営業時間 [月~木・日・祝]11:30~翌5:00(L.O)
       [金・土・祝日前]11:30~翌6:00(L.O)

2014.11.2「飯山の農的生活 我が家の庭にも春の芽吹き」

.「飯山の農的生活 我が家の庭にも春の芽吹き」

飯山の家は4月も待つになるとやっと雪がなくなった状態になり、田圃の雪も消えて、他お越しの前準備として乾かし中。家の敷地を歩けば一か月前が信じられません。除雪しかしてこなかったので何をすべきか迷うほどです。

で忍び寄る冬に備えて、冬の準備。三メートルは積もるという雪に備えて、幼い木には雪囲いを施す。雪囲いをしながら当家の庭にも秋がすで終わろうとしていることを感じました。

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竹を三本購入し、組み合わせたうえで金槌で少し土の中にたたき込み、荒縄で結びます。男結びで結ぶそうですが、ここは適当に。これでイチジクも安心です。

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洋ナシも雪囲い。

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ザクロも雪囲いします。これで雪でぺちゃんこになることからは免れるでしょう。

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この作業中に周りを見ればすでに秋も終わり。

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池の近くのタラの木は紅葉してました。

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これもタラの木。春の芽吹きが楽しみです。

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庭のもみじも真っ赤に色づいていました。

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これはなんでしょう。杉に這い上がる植物も紅葉してます。

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南天の赤い実。

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菊。白菊だったのていが、いつの間にかピンクや紫で染められていました。

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当家の庭を守る三羽の莵君たちです。

<番外>千曲川沿いの黄葉。緑を背景に滝のようです。

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2013.12.4寺社57「小春日和の五百羅漢の報恩寺」

寺社57「小春日和の五百羅漢の報恩寺」

小春日和に誘われて、盛岡市内をぶらぶらと歩いていると「五百羅漢」の文字。報恩寺とあります。立ち寄ってみました。

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とても立派なお寺です。五百羅漢の文字に惹かれて境内に。

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壮大な山門。両側に阿形、吽形の仁王像が睨みを効かせていました。

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山門を抜けると正面に本堂が静かに佇んでいました。

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山門を抜けると左手に白い建物。ここに五百羅漢が納められていました。

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石川啄木がこの寺を訪れて歌った。啄木が詩集18歳の時に上梓した詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」 の最後の章。

「琴を抱いて、目をあげて、無垢の白蓮曼陀羅華、 靄(モヤ)と香を吹き霊の座をめぐると聞ける西の方、 涙のごいて眺むれば、 済みたる空に秋の雲、 今か黄金の色流し、 空廊百代の夢深き、 伽藍一夕風もなく、 にわかに壊れほろぶ如、 或は天授の爪ぶりに、 一生(ヒトヨ)の望み奏で了へし、 巨人終焉に入る如く、 暗の戦呼をあとに見て、 光の幕を引き締め、 暮暉(ユウヒ)天路に沈みたり。 」

「みちのくの 小春日和に 報恩寺」 BY まうんてんぼーい。

◎報恩寺(ウィディペギア)
岩手県盛岡市にある曹洞宗の寺院。山号は「瑞鳩峰山」と号し報恩禅寺と称する。本尊は釈迦如来。境内にある五百羅漢で有名。大光山聖寿禅寺、大宝山東禅寺、宝珠盛岡山永福寺、雍護山教浄寺とともに盛岡五山(盛岡五個寺とも)の一つとされる。
この寺は、1362年(貞治元年)南部守行の開基、通山長徹の開山により、1394年(応永元年)に南部守行によって陸奥国三戸郡に創建されたと伝えられる。1601年(慶長六年)南部家二十七代南部利直の時、盛岡に移るに当たりこの寺も現在地に移された。
所在地 岩手県盛岡市名須川町31-5
山号 瑞鳩峰山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1362年(貞治元年)
開山 通山長徹
開基 南部守行
正式名 瑞鳩峰山 報恩禅寺
札所等 盛岡観音三十三箇所27番

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2013.12.4「盛岡に行ったら駅前のぴょんびょん舎へ」

「盛岡に行ったら駅前のぴょんびょん舎へ」

久々の盛岡出張。仕事を一段落させて、お昼。盛岡の昼といえば、わんこそばでなく、盛岡冷麺。駅前にある「ぴょんびょん舎」に。お昼を過ぎていたのでスムーズに入店できました。

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当然、冷麺を注文。ここの冷麺は冷麺特有のゴムのような麺でなく、絶妙の歯ごたえに、スープが絶品。「しぼりたての麺とコラーゲンたっぷりのスープ、爽やかな酸味のキムチが奏でる究極の逸品」との宣伝は偽りなしです。 盛岡冷麺の辛さは【別辛】【中辛】【特辛】【激辛】から選べます。770円。
すっかり、満足して、残された仕事にゴー。

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◎ぴょんびょん舎
ぴょんぴょん舎 盛岡駅前店
電話番号 050-5799-4379
住所み 岩手県盛岡市盛岡駅前通9-3
アクセスみJR 盛岡駅 徒歩2分
営業時間 月~日 11:00~24:00
定休日 無


2013.12.4「五百羅漢の皆さんに癒される盛岡の古刹報恩寺」

寺社57「五百羅漢の皆さんに癒される盛岡の古刹報恩寺 Ⅱ」

小春日和に誘われて、盛岡市内をぶらぶらと歩いていると「五百羅漢」の文字。報恩寺とあります。立ち寄ってみました。

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山門を抜けた左手にあるこの白い建物に五百羅漢の皆さんはいらっしゃいました。

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本堂から入りこの長い廊下を進むと拝観料をお支払して、いよいよ五百羅漢の待つお堂の中に入ります。

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何段にも積み重なった棚が壁沿いに四方に囲み、そこに数えきれない、いや、五百体?の羅漢が鎮座されていました。見るものを圧倒する迫力です。

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真ん中の羅漢は「あーあ。やれやれ」と両手をあげています。その隣の羅漢はこちらを見て今にも話しかけられそうです。

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見上げるとこんな感じです。

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何の相談をしているのかしら。

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あれまー。この羅漢は徳利振り上げて超ご機嫌でないの。

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「あーあ。やれやれ」羅漢さんの正面に回るとこんな感じ。何ともほのぼのとします。

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なにか味見でもしたのかな。やけにうれしそう。「何、なめたの」と思わず聞きたくなります。

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右の羅漢は立膝で今にも立ちあがらんばかり。「何もしてません。」左の羅漢はふんぞり返ってわれ関せずです。

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外国の方もいらっしゃいました。

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あれ。何に◎。えらく楽しそうじゃないの。

何時間いても飽きない五百羅漢の皆さんでした。盛岡に行った際には是非五百羅漢の皆さんを訪問してみてください。

◎報恩寺(ウィディペギア)
岩手県盛岡市にある曹洞宗の寺院。山号は「瑞鳩峰山」と号し報恩禅寺と称する。本尊は釈迦如来。境内にある五百羅漢で有名。大光山聖寿禅寺、大宝山東禅寺、宝珠盛岡山永福寺、雍護山教浄寺とともに盛岡五山(盛岡五個寺とも)の一つとされる。
この寺は、1362年(貞治元年)南部守行の開基、通山長徹の開山により、1394年(応永元年)に南部守行によって陸奥国三戸郡に創建されたと伝えられる。1601年(慶長六年)南部家二十七代南部利直の時、盛岡に移るに当たりこの寺も現在地に移された。
所在地 岩手県盛岡市名須川町31-5
山号 瑞鳩峰山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1362年(貞治元年)
開山 通山長徹
開基 南部守行
正式名 瑞鳩峰山 報恩禅寺
札所等 盛岡観音三十三箇所27番

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2014.11.8「日本最長の信越トレイルを歩く 毛無山」

「日本最長の信越トレイルを歩く 毛無山1022m」

愉快な仲間と信越トレイルの毛無山を歩きました。晩秋の落ち葉を敷き詰めたふかふかの山道を歩きます。今年はコナラの実が不作ということで熊が出没。熊鈴を鳴らしての山歩きとなりました。信越トレイルは飯山から新潟に至る関田山脈を歩く全長80Kのロングトレイル。

斑尾高原ホテルから希望湖に向かいます。希望湖にある駐車場に車を止めて、信越トレイルの毛無山への登山道から紅葉の敷き詰められた道を歩きます。

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妙高山がその雄々しい雄大な姿をみせます。

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希望湖の先に斑尾山。鏡のような湖面です。

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希望湖に「逆さ斑尾」。素晴らしい。

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道路にとめた車のそばで愉快な仲間が準備中。

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信越トレイルの道標。毛無山1.4Kの表示。

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登山口から落葉を踏みしめて、ワイワイと愉快な仲間がすすみます。

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秋といえば山ではきのこ。最初に見つけたきのこです。

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朴の木の葉が落ちてました。朴葉味噌でも有名です。大きな葉です。

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登山道は緩やかに登っていきます。ふかふかの地面を歩きます。カラマツ林の中に道は伸びて行きます。

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木々の間から特徴ある三角形の百名山のひとつ四阿山が見えます。

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かなり登ってきました。希望湖がかなり下に見えます。希望湖の背後の山は斑尾山。

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登山道に動物がかじったか、人が獲って捨てたのかきのこが落ちてました。ナラタケに極めて似ていますが捨てられたところを見るとナラタケモドキかしら。

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ところどころで視界が大きく開けるところもあり、歩いていて飽きのこないトレイルです。ここが゜1000m足らずの山とは信じられません。豪雪地帯の山なので2000m級の山と同じ感じです。

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樹林の中に道は緩やかに続きます。いつの間にか青空から曇り空になりました。

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チャウロコタケかしら。

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ここで一本とることに。愉快な仲間がおいしい柿をふるまってくれました。本当に甘くておいしかった。

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休んでいる間に、太陽は弱弱しくなり、薄日の空になりました。晩秋の登山らしくなってきました。

「柿食えば 落ち葉鳴る鳴る 信濃路で」 BY まうんてんぼーい

 「日本最長の信越トレイルを歩く 毛無山 Ⅱ」に続きます。

〇歩程
登山口-毛無山-登山口

◎信越トレイル(オフィシャルブログ)
長野・新潟の県境に位置する標高1,000m前後の関田(せきだ)山脈のほぼ尾根上に延びる全長80kmにおよぶ国内でも稀なロングトレイルです。ブナ林に育まれた自然豊なこの山脈は、かつて信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や海産物が、信濃からは内山和紙や菜種油が運ばれ、戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に何万もの兵を連れて峠越えをしたとも言われています。トレイルの整備や維持管理はNPO法人信越トレイルクラブが主体となり、周辺地域のボランティアの方々の協力によって行われています。

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2014.11.8「日本最長の信越トレイルを歩く 毛無山 Ⅱ」

「日本最長の信越トレイルを歩く 毛無山 Ⅱ」

愉快な仲間と信越トレイルの毛無山を歩きました。晩秋の落ち葉を敷き詰めたふかふかの山道を歩きます。今年はコナラの実が不作ということで熊が出没。熊鈴を鳴らしての山歩きとなりました。信越トレイルは飯山から新潟に至る関田山脈を歩く全長80Kのロングトレイル。「日本最長の信越トレイルを歩く 毛無山」からの続きです。

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晩秋の唐松の落ち葉の中を歩きます。陽もいつの間にかうす雲の中に。寒ざむしくなってきました。

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落ち葉を踏みしめる。地面のカンバスに描かれた美しい絵。

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先の方の空が広く見えるようになり、道も緩やかな登りとなりました。山頂近いかな。

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信越トレイルには至る所にこの標識があります。整備された道とこの標識のおかげでよほどのことがない限り道迷いはないでしょう。

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本当に平坦な灌木帯の中を行きます。正面に道標らしきものが見えてきました。

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信越トレイルの道標と思いましたら、上の方に申し訳程度に毛無山山頂1022mとありました。拍子抜けのように山頂に到着です。

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山頂は小広く、灌木に囲まれていますが視界は開けています。

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わいわいとお昼にします。

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本日はコンビニ弁当に豚汁です。お湯を沸かして温まります。

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リンドウのような花のつぼみがありました。

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お腹がいっぱいになったら、来た道を戻ることとしました。84歳の愉快な仲間が先頭に歩きだします。元気だな。

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下りは正面に斑尾山を見ながらの気持ち良い下りです。道もふかふかで雲の上を歩いているようです。

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やがて樹林帯の中に入り込みました。

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途中、ソテツの群落がありました。大きなソテツです。

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きのこがありました。ツブエノシメジかな。

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ヒメクズダケ?きのこはみんな同じにみえて識別が難しい。

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希望湖が見えてきました。登山口ももう少しです。

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美味しそうなきのこ。

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登山口につきました。下りはコースタイムの半分で降りてきました。

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希望湖の土手が見事に紅葉しています。美しい。

晩秋をゆったりと感じながら歩くにはぴったりの信越トレイルです。おすすめです。これからは、いよいよ登山道も雪に覆われます。

「山道に 舞い散る紅葉 美しき」  BY まうんてんぼーい


〇歩程
登山口-毛無山-登山口
登り 1時間
下り 25分

◎信越トレイル(オフィシャルブログ)
長野・新潟の県境に位置する標高1,000m前後の関田(せきだ)山脈のほぼ尾根上に延びる全長80kmにおよぶ国内でも稀なロングトレイルです。ブナ林に育まれた自然豊なこの山脈は、かつて信濃と越後を結ぶ交通の要所として16もの峠道が存在し、越後からは塩や海産物が、信濃からは内山和紙や菜種油が運ばれ、戦国時代には上杉謙信が川中島の合戦の際に何万もの兵を連れて峠越えをしたとも言われています。トレイルの整備や維持管理はNPO法人信越トレイルクラブが主体となり、周辺地域のボランティアの方々の協力によって行われています。

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2014..11.6「クリーミーな柔らかな味わい ホッピー仙人」

「クリーミーな柔らかな味わい ホッピー仙人」

横浜に仕事で出た際に、昔の部下と桜木町で待ち合わせ。桜木町からほど近い野毛小路に。野毛小路を抜けて伊勢佐木町に向かう都橋の川に沿ってある商店街の2階にスナックなどの飲み屋がある傍らに、本日の店「ホッピー仙人」がありました。

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都橋商店街。商店街の上には角海老のネオンが見えます。伊勢佐木町の風俗街です。こんなところに噂の名店「ホッピー仙人」がありました。

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ホッピー仙人の入口前で興奮する愉快な仲間たち

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中に入ると一坪ほどで10人も入れないほどの狭い店に、すでに人であふれています。何とか席を開けて頂き入り込みました。

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壁にはこの写真。ホッピー仙人と吉田類さんの写真です。酒場放浪記も当然取材していました。

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ホッピー500円を注文。一口飲むと、これはホッピー。今まで飲んでたのは何。ホッピーがクリーミーで柔らかく、のど越しの良い別の飲み物に変わっています。これは病み付きになるというのも納得の美味しさです。実は泡の上にハートが浮かんでいます。仙人の究極の技。ハートをのみ込みました。

ホッピーも白、黒だけでなく「リアルハーフホッピー」。白ホッピーと黒ホッピーのハーフ&ハーフ700円。「北米大陸の風」
レモンサワーと黒ホッピーのハーフ&ハーフ800円。「堀越さん」。青リンゴサワーと白ホッピーのハーフ&ハーフ800円。
「トリプレット」3色ホッピー。白ホッピー、黒ホッピー、ブラックウオッカのトリプレット1000円。「サワー3色ホッピー」。青リンゴとレモンのサワー500円。「ホッピーにハート」白黒ホッピーに、ホッピーにハートが浮かぶ。この写真も実はハートが浮かんでいるのですがうまく撮れませんでした。なお、肴はスナックのみです。

愉快な仲間と元部下とともに、ホッピーをいただき、すっかり仙人気分で、さあ、夜は長いとばかりにもう一軒と向かいました。

◎ホッピー仙人
横浜市中区宮川町1-1-214  都橋商店街 2F
TEL.045-242-1731
営業時間 19:00~22:00(日祝定休)

2014.11.2「千曲川沿いを晩秋を感じて風を切って走る」

.「千曲川沿いを晩秋を感じて風を切って走る」

11月の声を聞き、飯山もめっきり寒くなってきました。朝早く起きだし、防寒に身を整えて、晩秋の飯山を感じにバイクにまたがり、いつものコースをサイクリングに出ました。一周15k程度のコースです。最初の千曲川にかかる橋を渡り、国道117号線を飯山市内に向かいます。ここからは長い急な登りが続きます。最初から登りというアルバイトコース。息が上がります。登りきると、今度は下りとなります。湯滝橋までほぼ下り基調で走れます。湯滝橋を渡り、県道408号線を新潟方面に右折。ここからがこのコースのハイライトとなります。千曲川に沿っての道で快適に走れます。四季を通じてお勧めのコースです。

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市川橋。赤い美しい橋です。これを渡ると国道117号です。

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市川橋の上から紅葉の中を流れる千曲川。ゆったりと流れています。

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さらに、ファインダーをあげると千曲川の先には雲をかぶった斑尾山が臨めます。朝日で少し赤くなってます。

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国道117号に入ってすぐの急な登り。まさに心臓破りの坂です。あえぐあえぐ

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対岸の集落のバックも紅葉で彩られています。

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国道117号を飯山市内方向に走ります。坂を登りきれば緩やかな下り基調に。風を切り気持ちいい―。

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信越トレイルという80Kにも及ぶトレッキングコースのある関田山脈をバックにパチリ

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途中の国道沿いの集落「虫生」と書いて、ムシュウと読ませます。この地名はたくさんの虫がいたということか虫が生きているというぐらいなので安全なところということでしょうか。

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この集落の入口にある大木

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オオバ菩提樹の葉が根元にたくさん落ちてました。大きな葉脈がはっきりした葉です。

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さらに国道を走ります。黄色の美しい気が丘の上に。

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眼下には赤い鳥居の神社の鎮守の森の緑に浮かび上がる黄葉。赤、緑、黄のコントラストが美しい。

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晩秋の関田山脈。幻想的な一服の絵のようです。

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オレンジに燃える木々。

ここで一句。「燃え上がれ  すべての木々を 染めつくせ」 BY まうんてんぼーい。

「千曲川沿いを晩秋を感じて風を切って走る Ⅱ」に続く。

◎長野県飯山市(ホームページ)
長野県内で最も低い千曲川沖積地に広がる飯山盆地を中心に、西に関田山脈・東に三国山脈が走る南北に長い地形をもっており、南西部には斑尾高原、北西部には鍋倉山、東部には北竜湖などがあり、多くの自然資源に恵まれた地となっています。 飯山は、古くから山国信州と日本海を結ぶ交通の要所として栄え、塩、魚などの海産物の集散地、また大和朝廷時代の越後・出羽開拓における重要な駅路としての役割を担ってきました。 戦国時代においては、上杉謙信の川中島出陣の際の前線基地として、戦略的にも重要な地となり、永禄7年(1564年)には千曲川左岸に飯山城が築かれました。飯山の都市形成は、この飯山城を中心になされ、幾度かの城主の変転を重ねる中で、しだいに城下町としての機能を整えてきました。 江戸時代の初期から中期にかけては、千曲川を利用した舟運と越後に通じる街道を使った物流機能が発達し、また、新田開拓とかんがい用水の整備が積極的になされ、農業の基盤が確立されました。明治維新後は、明治4年の廃藩置県によって飯山県となり、さらに長野県に編入され、町制は明治22年に施行されました。戦後の昭和29年8月の町村合併促進法の施行により、飯山町を中心に秋津村・柳原村・外様村・常盤村・瑞穂村・木島村の1町6村が合併して飯山市が誕生しました。市はその後、昭和31年に太田村・岡山村を編入し、現在の姿に至っています。明治26年、飯山を経由しない信越線の開通により、徐々にその物流拠点としての機能を失い、その後は農業を中心として飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸をはじめとする地場産業により発展しました。しかしながら、昭和30年代後半からの高度経済成長期において、産業の立地する条件をもたなかったこと、さらに豪雪地帯であるというハンディもあって経済成長が停滞し、若年層を中心とした人口の流出を生じました。市の文化・市民性としては、江戸時代から続く寺町文化・雪国らしい連帯と協調の精神があげられ、名僧正受老人の正受庵をはじめとする寺社景観、斑尾・戸狩などのスキー場、千曲川、北竜湖などの自然資源とあわせて、日本のふるさとにふさわしい豊かな風土と魅力をつくりだしています。

2014.11.9千曲川沿いを晩秋を感じて風を切って走る Ⅱ」

「千曲川沿いを晩秋を感じて風を切って走る Ⅱ」

11月の声を聞き、飯山もめっきり寒くなってきました。朝早く起きだし、防寒に身を整えて、晩秋の飯山を感じにバイクにまたがり、いつものコースをサイクリングに出ました。一周15k程度のコースです。最初の千曲川にかかる橋を渡り、国道117号線を飯山市内に向かいます。ここからは長い急な登りが続きます。最初から登りというアルバイトコース。息が上がります。登りきると、今度は下りとなります。湯滝橋までほぼ下り基調で走れます。湯滝橋を渡り、県道408号線を新潟方面に右折。ここからがこのコースのハイライトとなります。千曲川に沿っての道で快適に走れます。四季を通じてお勧めのコースです。

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国道117号には多くの橋がかかっています。正面に矢垂橋が見えてきました。その先には美しく紅葉したイチョウが見えます。

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飯山盆地を千曲川の名前通りにくねくね曲がりながら流れる千曲川。関田山脈に朝日が当たります。

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信心深い雪国の人たち。国道沿いに社が立っています。

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オレンジが美しい。

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昔ながらの古民家が山すそに建ています。タイムスリップしたように風景です。

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空をつく木々。緑と黄色と青。パチリ

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正面に湯滝橋が見えてきました。この橋を渡って、対岸の県道408号線を十日町方面に戻ります。

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湯滝橋から千曲川の流れに。飛び込む。いや、見入る。

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県道408号は千曲川に沿って走る道。千曲川を渡る風を感じながら走れます。

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風が強く、落ち葉が舞い散ります。

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山越しに陽が昇ってきました。

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千曲川の川面をバックに、この色合い。

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かなり陽がのぼりました。川面に陽が美しく映ります。体も暖かくなってきました。さあ、あともう少し。ペダルを踏む足に力が入ります。

◎長野県飯山市(ホームページ)
長野県内で最も低い千曲川沖積地に広がる飯山盆地を中心に、西に関田山脈・東に三国山脈が走る南北に長い地形をもっており、南西部には斑尾高原、北西部には鍋倉山、東部には北竜湖などがあり、多くの自然資源に恵まれた地となっています。 飯山は、古くから山国信州と日本海を結ぶ交通の要所として栄え、塩、魚などの海産物の集散地、また大和朝廷時代の越後・出羽開拓における重要な駅路としての役割を担ってきました。 戦国時代においては、上杉謙信の川中島出陣の際の前線基地として、戦略的にも重要な地となり、永禄7年(1564年)には千曲川左岸に飯山城が築かれました。飯山の都市形成は、この飯山城を中心になされ、幾度かの城主の変転を重ねる中で、しだいに城下町としての機能を整えてきました。 江戸時代の初期から中期にかけては、千曲川を利用した舟運と越後に通じる街道を使った物流機能が発達し、また、新田開拓とかんがい用水の整備が積極的になされ、農業の基盤が確立されました。明治維新後は、明治4年の廃藩置県によって飯山県となり、さらに長野県に編入され、町制は明治22年に施行されました。戦後の昭和29年8月の町村合併促進法の施行により、飯山町を中心に秋津村・柳原村・外様村・常盤村・瑞穂村・木島村の1町6村が合併して飯山市が誕生しました。市はその後、昭和31年に太田村・岡山村を編入し、現在の姿に至っています。明治26年、飯山を経由しない信越線の開通により、徐々にその物流拠点としての機能を失い、その後は農業を中心として飯山仏壇、内山紙などの伝統工芸をはじめとする地場産業により発展しました。しかしながら、昭和30年代後半からの高度経済成長期において、産業の立地する条件をもたなかったこと、さらに豪雪地帯であるというハンディもあって経済成長が停滞し、若年層を中心とした人口の流出を生じました。市の文化・市民性としては、江戸時代から続く寺町文化・雪国らしい連帯と協調の精神があげられ、名僧正受老人の正受庵をはじめとする寺社景観、斑尾・戸狩などのスキー場、千曲川、北竜湖などの自然資源とあわせて、日本のふるさとにふさわしい豊かな風土と魅力をつくりだしています。

2014.11.14「飯山の農的生活 野菜を食べる虫たち あまり食べないでね。」

「飯山の農的生活 野菜を食べる虫たち あまり食べないでね。」

飯山の家の畑で育てた野沢菜、白菜、春菊も一週間に一回しかこないのに、すくすく育ちます。しかし、その間に、虫たちが好き放題に食べてくれます。少しは我々が食べるのも残しておいてね。

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野沢菜だけでなく、白菜も大きく葉を広げはじめました。あとはしっかり巻いてくれるかです。

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白菜たちです。巻いてくれよ。

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野沢菜もどんどん大きくなります。虫は付きやすいです。虫がつくということはおいしいということ。

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青虫。一匹ずつ丁寧に駆除します。アオバハゴロモという害虫です。野菜や花など種類を問わず発生する害虫。
吸汁性の害虫ですが実害はあまり無く、大量発生しなければ放置してても問題無いようです。

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これはヨトウムシ。夜盗虫の名前の通り、夜間に出てきていろんな野菜の葉を食い荒らします。
野沢菜を相当やられました。

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ニジュウヤホシテントウ。28個の斑点があるテントウムシ、別名テントウムシダマシ。野菜の葉を食べる害虫です。

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夜盗虫。見事に穴をあけてくれます。

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しかし、春菊は食害なし。春菊も害虫はつくようですが幸い大丈夫です。

「虫たちよ そんなにうまいか 我がやさい」 BY まうんてんぼーい


◎野沢菜
アブラナ科アブラナ属の二年生植物。長野県下高井郡野沢温泉村を中心とした信越地方で栽培される野菜で、特産の野沢菜漬けの材料とされる。 別名、信州菜(シンシュウナ)。茎と葉の丈は50~90cmにもなる。春には黄色い花を咲かせ、「菜の花畑」となる

栽培は、9月に播種し間引きを繰り返すが、間引いた苗はお浸しや浅漬け(当座漬け)として食される。成長した地上部は10月から11月にかけて収穫され、主用途である野沢菜漬けとなる。 残された根からは、翌春の雪解後に芽が伸びるので、これを収穫し野菜(とうたち菜)として利用されるほか、新たに種を蒔いて春菜、うぐいす菜を育て浅漬けとして利用する。地上部はさらに成長して5月に開花し、6月に種子の採取が行われる


2014.11.8「横浜・野毛小路の寿司屋といえば だるま寿司」

「横浜・野毛小路の寿司屋といえば だるま寿司」

桜木町ら野毛小路に入る入口の右側にこじんまりつ寿司屋「だるま」。カウンターのみの8人も入ればいっぱいの店。人生を感じる皺を顔に書いた主人がが迎えてくれる。寿司職人らしい気風をまとって注文を取る。まずはお任せのお造りと日本酒を注文。日本酒は青森の酒「桃川」。熱燗でいただく。主人は注文の品を黙々と握る。いくつかお任せで握ってもらい。最後に上がりで締める。たまにはこんな日もいい。静かに酔う一日。

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こじんまりして野毛小路の入口にポツンと建ってます。

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日本酒は青森の桃川。

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ご主人が黙々と注文した品をつくる。

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お造りがきた。美味しそう。酒がすすむぞ。

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いろいろ新鮮なネタもそろってます。

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あがりを注文。さすが、湯呑みは達磨だ。

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サトウ八チローさんの色紙が飾ってありました。含蓄ある言葉。噛みしめたい。

「黙々と 握る手元に 鮭にぎり」 BY まうんてんぼーい

〇桃川(ウィデペギア)
江戸時代にはじめられた百石の有力者三浦家の清酒製造を発祥としており、1889年(明治2年)から村井酒造店として本格的に酒造りを開始した。
創業当時、百石川(奥入瀬川)の水を使用していたことから、「百」を「桃」にかえて「桃川(ももかわ)」となづけられた。現在も百石川の伏流水が酒造りに使用されている。
商標ラベルの「桃川」の文字は洋画家・日本画家の小杉放庵の筆によるもの。
2011年7月19日、同月1日付で韓国の企業グループの傘下に加わり新会社に移行したことが明らかとなった[1]。

桃川 株式会社
所在地 青森県上北郡おいらせ町上明堂112

◎だるま
電話 045-231-9322
住所 神奈川県横浜市中区花咲町1-33
交通手段 JR「桜木町駅」より徒歩3分
営業時間[月~土]17:00~23:30

2014.11.8「紅葉の野尻湖の感嘆の声」

「紅葉の野尻湖の感嘆の声」

愉快な仲間の提案で紅葉の野尻湖に。長野の北にある野尻湖はナウマンゾウても有名。国道18号沿いにありアクセスも容易で観光客も多い。

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◎野尻湖(ウィデペギア)
野県上水内郡信濃町にある湖。古くは信濃尻湖(しなのじりこ)と呼ばれた。芙蓉湖(ふようこ)とも呼ばれる。ナウマンゾウ化石が出土する湖としても知られており、発掘調査が行われる。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。天然湖で、妙高高原、黒姫高原とともに上信越高原国立公園に指定されている。

所在地 長野県上水内郡信濃町
面積 4.56 km2
周囲長 16 km
最大水深 38.5 m
平均水深 21 m
水面の標高 657 m
成因 堰止湖
淡水・汽水 淡水
透明度 5~7 m

20104.11.8「なべくら高原の森の家。アドベンチャーには大人気。」

「なべくら高原の森の家。アドベンチャーには大人気。」

長野県の北のはずれにある鍋倉高原に愉快な仲間とやってきました。ここは夏は高原トレッキング、冬はスノーシューツアー、秋はキノコ狩り、春は山菜取りと多くのイベントが開かれる宿泊施設です。広大なブナの森の中に、10軒ほどのログハウスが立っています。このログハウスに宿泊して高原を遊び尽くすわけです。宿泊費は安い上に設備は清潔で食事を作る備品は完璧にそろっています。

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センターハウス前の駐車場。左に見えるコテージは昨年スノーシューツアーで宿泊したコテージ。

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コテージはそれぞれインテリアが異なっていて来るたびに変えてみるのも面白いと思います。

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我我が本日お世話になるコテージ。雰囲気あるでしょう。

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一階にベット、二階は布団敷きで本日は5人で泊まります。

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なかなか雰囲気のあるコテージでしょう。

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荷物は投げ飛ばして、さっそく、飲み会の準備です。

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まずは鍋の容易です。本日の鍋は信州みそを使って味噌仕立ての闇鍋です。

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これは地元のスーパーで購入した金沢港水揚げのアオリイカ。当然刺身にしました。これで900円しません。包丁でさばくと、なんと小魚が出てきました。

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これも金沢港の水揚げのウマヅラハギ。御崩れしないので鍋にはぴったり。

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鍋ができあがりました。美味しそうでしょう。とてもおいしかったです。

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本日のお酒の第一弾。越乃寒梅と焼酎喜界島。あっという間になくなりました。

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すっかり酔っぱらった愉快な面々。よせばいいのに凍るように寒い外にワイワイと出て行きます。

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見上げると空には朧月が雲の間から光を届けます。

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これもなかなか幻想的でしょう。寒いけど澄んだ空気に景色が冴えわたります。

この後、全員、思い思いに布団の中にもぐりこみ、爆睡と相成りました。

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翌朝はブナ林を巡る散歩道に。

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いかにも熊が出そうで、オー怖い。

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無効に見える建物がセンターハウスです。

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紅葉も美しかったですが、もう、終わりで、冬支度を感じるなべくら高原でした。

「晩秋の 空を見上げりゃ  朧月」BY まうんてんぼーい

◎森の家(ホームページ)
長野県飯山市なべくら高原柄山(からやま)
電話 0269-69-2888
6haの敷地内には喫茶や各種研修にご利用いただける「センターハウス」、イベントにご利用いただける半野外施設「こもれび」、宿泊は森に囲まれた10棟の「コテージ」、車いすやベビーカーでも散策可能なユニバーサルデザインの遊歩道「ブナの里山こみち」などがあります。
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2014.11.22「飯山の農的生活 豚しゃぶ中に、突然の大揺れ。」

「飯山の農的生活 豚しゃぶ中に、突然の大揺れ」

飯山の家の畑で育てた野沢菜、春菊は食べごろに、本日は取ったばかりのこれらで信州豚のしゃぶしゃぶに。一週間に一回しかこないのに、ほったらかしたのによく育ってくれました。しかし、白菜は大きくなってきましたがなかなか巻いてくれません。

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手前は白菜、向こうは野沢菜です。

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白菜はなかなか巻いてくれません。

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白菜こんなに大きくなったのに芯が巻いてません。巻け―――。

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春菊も大きくなりました。

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野沢菜はこんなに大きく。出荷しようかしら。

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鍋の材料を収穫しました。食べると匂いと味がスーパーで購入するものと違います。臭いと香りが自己主張

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鍋の準備をして、日本酒傾けながら、深深と寒さが浸みる中、体と心が温まります。

いい気持ちになっていたら、突然の大きな揺れ。長野県北部地震。ここは気象庁によれば50年は大地震ないと聞いていたのに。ところが、古民家は今まで体験したことのない揺れで見事に地震の揺れを吸収。石の上に柱が乗っているだけなのに。究極の耐震構造と聞いていたがその通りでした。揺れが収まって、裏山が崩れてこないかと別の心配が起こりました。写真の自慢のお猪口やとっくりが入ったサイドボードもなにもなかったようです。震源の白馬村、小谷村は山向こうです。学生時代からお世話になっている地区。何もなければと祈るばかりです。

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◎古民家の免震構造
 力に逆らわず揺らして防ぐという免震構造が取り入れられています。現代住宅は基礎をコンクリートで固めてしまいます が、古民家では柱を石の上に置くだけだったり、骨組みに屋根を乗せているだけだったり、揺れることで崩れないように してあるのです。

20104.11.21「東京駅 晩秋 」

「東京駅 晩秋 」

久々に大学時代の悪友と再会のために東京駅に。約束の時間より早かったので、東京駅周辺をカメラをぶら下げてぶらぶら。11月下旬だが小春日和の日で気温も高く気持ち良い。しかし、いつの間に高いビルがこんなに出来たのかしらとびっくり。日本の摩天楼と呼ぶににふさわしい光景。

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東京駅丸の内南口

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JR東京駅の丸の内南口前に2013年3月21日にオープンした「KITTE(キッテ)」の植え込みにネオンが瞬きます。

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東京駅中央口

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JR東京駅の丸の内南口前に2013年3月21日にオープンした「KITTE(キッテ)」。日本郵便が初めて手がける商業施設です。「KITTE」というネーミングは、「切手」と「来て」2つの言葉に由来します。

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「KITTE(キッテ)」の上には38階のビルが乗っています。

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東京駅全景。美しいですね。

「駅前に 光あふるる 冬の夜」  BY まうんてんぼーい

2014.11.21「東京駅 KITTEに巨大な樅の木が出現」

「東京駅 KITTEに巨大な樅の木が出現」

東京駅前の中央郵便局の敷地に巨大なビルができたのは2013年の3月21日。それ以来、すっかり東京駅前の観光名所となった模様。旧東京中央郵便局舎の一部と新築部分で構成され、地下1階、地上6階の低層ビルが商業施設の「KITTE」。「切手」とお客様に「来って」にかけているそう。東京駅から直結で、飲食、ファッション、雑貨など98店舗が入っている。新築部分のオフィス棟は38階の摩天楼。

中に入ると1~6階までの吹き抜けとガラス天井の明るいアトリウムに圧倒される。ここに、今、巨大な樅の木がセットされて訪れる人を圧倒している。

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定期的に樅の木に当てる証明を変えて幻想的なショーも行われていて多くの人を集めていた。ちょうど、大学時代の悪友と待ち合わせをしており、よい時間つぶしになりました。

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「ビル内の 樅の木をみて 冬を知る」  BY まうんてんぼーい

◎KITTE
所 在 地 東京都千代田区丸の内二丁目7番2号
店舗面積 約9,400 ㎡(約2,800 坪)
開 業 日 2013 年3 月21 日
休 業 日 1 月1 日及び法定点検日
営業時間 物 販 11:00~21:00 (日曜・祝日に限り11:00~20:00)
       飲 食 11:00~23:00 (日曜・祝日に限り11:00~22:00)
アクセス   JR「東京駅」丸ノ内南口より徒歩約1分/ 丸ノ内線「東京駅」より地下道直結 千代田線「二重橋前駅」より徒歩約2分/ 三田線「大手町駅」より徒歩約4 分

2014.11.9「富倉新蕎麦祭りに潜入。かじか亭」

「富倉新蕎麦祭りに潜入。かじか亭」

長野県の名物といえば、蕎麦。長野県飯山では国道292号線の新潟の県境にある富倉峠の富倉蕎麦が有名。ちょうど、新蕎麦がでたので「新蕎麦祭り」を開催しているとのことで行ってみました。一緒に行ったのは言わずと知れた愉快な仲間

富倉そばは長野県飯山市富倉に伝わる、つなぎに山ごぼう (オヤマボクチ) の茸毛 (葉の繊維) を使った蕎麦です。富倉地区で農家が営む食堂で味わえます。十割蕎麦にも通じる香りの良さやコシが強くのど越しの良い麺が特徴です。富倉は山の中の小さな地区のため、交通の不便な地域でしか味わえなかった希少性から一部では「幻のそば」として紹介されています。

飯山市内を国道117号から「上越」の標識に従いひたすら国道292号を登っていくと富倉につきました。さすがに山の中の寒村のたたずまい。「幻のそば」に妙に納得

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元小学校の校庭にたくさんのテントが立って、ざるそばがふるまわれています。こんなに寒いのに外でおいしそうに食べているのに感心。

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地元の農家が沢山の農産物を持ち寄り販売していました。

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何やらいろいろ工夫したイベントがならんでいました。

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我々はさすがに寒いので、「かじか亭」に入り込みました。新蕎麦祭りはこのかじか亭の前で行われていました。

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寒いので、かじか亭に続々と吸い込まれていきます。

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店内にはたくさんの人が新蕎麦を待っていました。

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早速、ざるそばの大盛りと名物の笹寿司を注文。

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ざるそばが来ました。美味しそう。そばつゆをつけずに口ふくむと腰が強くつるつるの蕎麦が口の中で踊りました。

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笹寿司。富倉の人々が戦国時代に上杉謙信に贈った野戦食といわれ、 笹の上に酢飯をおき、ゼンマイ、シイタケ、鬼グルミなどをのせた素朴な山里のすしです。本当に素朴な味です。

◎かじか亭
長野県飯山市大字富倉1769
TEL 0269-67-2500
営業時間 10:00~17:00 2014年12月1日より10:00~16:00
定休日 毎週火曜日(祝日の場合は同月の月曜日に振り替え) 年末年始(12/31午後~1/6)
料金(メニュー) 手打ちざるそば:840円、笹ずし:700円、そば定食:1,100円、季節の天婦羅:680円、いもなます:250円

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寺社58「上杉謙信を祀る春日山神社で吉」 

寺社58「上杉謙信を祀る春日山神社で吉」

上杉謙信の居城に行こうと上越市高田に。春日山城は広い山城。入口には上杉謙信を祀った春日山神社。上杉謙信にご挨拶してから城に行こうと、まずは参拝。
春日山神社は山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神に祀った神社で、明治34年(1901年)に、童話作家・小川未明の父である小川澄晴によって創建されたとありました。

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神社の入口

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参道を行きます。こちらの道は山道を車で上がってきたので楽に境内に通じていますが、正面からは長い階段を登ることとなります。上杉謙信の軍旗「龍」の旗がはためいています。
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立派な鳥居がありました。ちょうど、紅葉シーズン。紅葉が美しい。

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立派な狛犬が神社を守護します。

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紅葉がかかり、ベストショット

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二礼二拍手一礼の作法に従い、お参りをします。左手におみくじがありました。最近の運勢を引こうとおみくじを引くこととしました。結果は「吉」。まずまずでしょうか。おみくじに書いてあることを戒めとして今年の残りを過ごしたいと思います。

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参拝を終えて帰ろうとするとこんな像が。「かえる」は言葉遊びしやすいのでこんな像も飛びたすのかな。

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神社の参道には上杉謙信の「毘」の軍旗。「毘」は仏法を守る四天王のひとり毘沙門天のことで、別名で多聞天。鎧を着て矛を手に持ち、悪鬼を踏みつけている神様です。 戦の神様であり、北方の守護神ということで、上杉謙信が深く信仰したのかもしれません。

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「龍」の軍旗。「龍」は不動明王のことで、動物で現すと龍になります。仏像では剣を持っており、これを倶梨伽羅剣(くりからけん)といい、この倶梨伽羅剣には龍が巻きついており、この龍が仏敵を倒すとされています。

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神社で「吉」を頂き、参道を出たところで、振り返ると石垣の上に上杉謙信像。ははー。
おなじみの姿で遠くを見据えています。その先には五度戦った宿敵武田軍でしょうか。

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その先には何が。立派な紅葉がありました。


◎春日山城(ウィデペギア)
上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、長尾為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。しかし、上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終えた。
別名を鉢ヶ峰城ともいう。「春日山」の名称は、奈良の春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来する。春日神社の創建年代は、958年(天徳2年)説、守護上杉氏の築城の際とする説、文明年間(1469年~86年)という説などがありはっきりしない

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2014.11.21「丸の内で牡蠣蕎麦といえば小花」

「丸の内で牡蠣蕎麦といえば小花」

大学時代の悪友がフェイスブックに投稿していた牡蠣蕎麦がやたらうまそう。牡蠣大好き人間としてはこれはいかねばならぬとすぐに悪友に連絡。丸の内南口から新東京ビルにある牡蠣蕎麦のある「小花」にダッシュ

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小花に到着。早速、奥のテーブルに落ち着く。まずは、牡蠣蕎麦は締めとして、何食べようかとメニューを覗き込みました。

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このお楽しみセットを注文。何と、ドリンク2杯に前菜、点心、中華料理1つが注文できる。三人なので中華料理し3つ゜頼める。これはリーズナブルと注文。

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まず、出てきたのがこれ。新鮮な刺身のおつくり。サービス。これは幸先良し。

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続いて前菜。ピータン等中華の定番の前菜です。味はまずまずです。

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青菜の炒め物が出てきました。普通に美味しいです。酒がすすみます。

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点心はシューマイでした。しっかり肉の詰まったシューマイです。あっという間に酒2杯を飲みほしてしまい、紹興酒のボトルを注文。

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二品目のチンジャオロース

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三品目はカシューナッツと鶏肉の炒め物でした。これは大好きです。

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ここで、真打の牡蠣蕎麦を注文。牡蠣が沢山、たくさん入ってました。麺は太目。汁が麺に絡んで、まいうー。

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これで終了でしたが、ママのサービスでこれ何。杏仁豆腐です。とても口がさっぱりしておいしかった。

大満足の一日でした。学生時代の仲間はすぐにその時代にタイムスリップして、付き合えるので、面白いですね。

「牡蠣蕎麦に 舌鼓打つ  冬の夜」  By まうんてんぼーい

◎小花
TEL  03-3211-8570
住所 東京都千代田区丸の内3-3-1 新東京ビル B1F
交通手段 JR有楽町駅国際フォーラム口から 徒歩2分
       有楽町駅から273m
営業時間 ランチ 11:00~14:00
        ディナー 17:00~22:00(L.O.21:00)
定休日   土・日・祝



2014.11.22「飯山の農的生活 バイクランで晩秋を撮る Ⅰ」

「飯山の農的生活 バイクランで晩秋を撮る Ⅰ」

長野県飯山の農的生活。午前中の雨も上がり、陽がさし始めたので15キロ先のスーパーまでバイクで買い物。その道中で美しい晩秋の自然に出会いました。雨上がりの自然はまた違った景色を提供してくれました。

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上越方面に流れ下る千曲川

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雨がやみ、陽がさしました。飯山方面を見ます。

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高社山を背景に千曲川がゆったりと流れます。何時間も見ても飽きない風景。

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畑の真ん中に藁の塔がそこここに。飯山は正月行事のどんと焼きが有名。

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結構大きくて高い。あと数日で雪原に埋もれるので、道を誤らないための目印かしら。考えると夜も寝れない。

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湯滝橋の向こうに高社山。

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目指すスーパーが見えてきました。

「晩秋の 千曲の川に 陽が落ちる」 BY まうんんぼーい

◎バイクラン
千曲川国道117号線沿を25キロ走る。

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2014.11.22「飯山の農的生活 バイクランで晩秋を撮る Ⅱ」

「飯山の農的生活 バイクランで晩秋を撮る Ⅱ」

長野県飯山の農的生活。午前中の雨も上がり、陽がさし始めたので15キロ先のスーパーまでバイクで買い物。その道中で美しい晩秋の自然に出会いました。雨上がりの自然はまた違った景色を提供してくれました。

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広い飯山盆地を飯山線が走ります。二両編成。いつもは、一両です。

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どんど焼き?のピラミッドが沢山立っています。

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陽が傾き始めました。この季節には17時には暗くなります。早く買い物して帰らないと暗くなってしまう。

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既に街路樹は落葉して枝ばかり。その後ろで斑尾に陽が沈む。

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117号線のサイクリングロードを陽が落ちるのと競争です。

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高社山の夕景。

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斑尾方向に陽が沈みます。

「藁の塔 正月を待つ 里の秋」 BY まうんてんぼーい

2014.11.15「北陸新幹線開業119日に一足早く飯山駅開業」

「北陸新幹線開業119日に一足早く飯山駅開業」

いよいよ東京から長野までつながっていた新幹線が金沢まで延伸する3月14日が迫ってきました。それに先駆けて、飯山市では最も大きい建物ともいえる新飯山駅が開業しました。在来線の飯山線もここからのスタートになります。これまでの飯山駅はホームに釣鐘があるなど寺の町の象徴として特徴ある駅舎のために保存されるそうです。
さっそく、開業して間もない飯山駅に行ってみました。

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まだ、駅の周りでは道路工事などが行われていました。大きな駅舎です。

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駅舎の入口には開業告知の横断幕が。

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玄関を入ると左手にインフォメーションセンターがあります。

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広々とした室内です。既に、お客様が案内を受けていました。ちょっと、広すぎませんか

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トイレにも立ち寄ってみました。ピカピカだ。

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ホームは二階のようです。エスカレーターで二階に行ってみました。

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開業までの残日数の表示板がありました。あと、119日です。

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二階は贅沢な吹き抜けとなっていました。レストランが入るようですが開店はしてませんでした。というより、人がいません。

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二階に在来線の飯山駅の改札がありました。一足早く開業しています。

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外に出ると左手に在来線のホームがありました。

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右を見ればまだまだ工事中です。沢山の人が利用されるように祈るばかりです。

◎飯山駅
飯山始まって以来の大事業ですね。なんとか、たくさんの人に使って頂きたいですね。

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20104.9.27「広島で才能あふれる現代美術展に出会う」

「広島で才能あふれる現代美術展に出会う」

広島に行った折に、ロマネスク建築の建物があり、その前で立ち止まると旧日本銀行広島支店とあります。今はイベントホールとして利用されているようです。丁度、美術展をやっていたので立ち寄ってみました。芸術の秋、ぶらり歩きでラッキーでした。

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最終日でした。ラッキーな出会いです。どんな作品に出会えるか楽しみです。

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銀行の窓口です。当時のまま残されています。入場は無料でした。

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とても天井が高く、広い空間で美術展にはぴったりの建物と言えます。

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まず、見て回る前に。トイレも昔ながらのままに使用されていました。

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一階の広いフロアーにこの作品。現代美術は解釈がいろいろなのでが想像が膨らみます。

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一見アトリエに見えるがこれも展示。床に落ちているゴミのように見える紙屑も作品の一部です。

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この二人が立派な作家として活躍するのを期待しています。シュプレヒコール

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この紙屑が気になります。ひとつひとつ置き場所まで考えているなら・・・・・。

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高校生の作品も展示されていました。

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一見、写真と思うこの二点。細密画。それも高校生の作品。素晴らしい。特に、愁いを含んだオードリー・ヘップバーンには二度惚れしそうな作品です。

◎旧日本銀行広島支店(ウィデペギア)

広島県広島市中区袋町にある、日本銀行のかつての営業所。現存する被爆建物の一つであり、爆心地からわずか380mという場所にありながら保存状態が良い。広島市指定重要文化財。遺構として一般公開されており、芸術文化活動拠点としても利用されている。施設は日銀が所有し、広島市が運営管理している。渦巻状の柱頭をのせた角柱などギリシャ建築・ローマ建築風の古典様式で、広島における昭和初期を代表する建築物の一つ。日銀支店ということから堅牢に造られていたため、爆心地からわずか380mという

所在地 広島市中区袋町5番21号

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◎国内外の作家による現代美術展
日本やフランスで活動する5人が、被爆建物を舞台に多彩なメッセージを発している。
ロドルフ・ユゲ(フランス)の「WaterWar(1)2010/2014」のシリーズは、貴重な資源「水」をめぐる「戦争」を描く。化石化したペットボトルの石彫や大量に捨てられたペットボトルのオブジェを布に転写、空間に配している。
田嵜(たさき)裕季子(茨城県つくば市)「いのちに触れる」は、福島第1原発事故で取り残されたペットの救出劇がテーマ。犬の写真や国内外のボランティアたちの映像に囲まれたケージには、ふわふわとした白い風船。生命の重みを静かに伝える。パリ在住の鈴木輝久は、空き缶に穴を開けたピンホールカメラを集めた「CAN」。フランスのクレマン・デロムとジェレミー・レッダは映像作品を出展している。
ヒロシマから新たな芸術の発信をと、クリエイティヴ・ユニオン・ヒロシマ(伊藤由紀子代表)が1994年から主催し、今回で21回目。企画者と作家たちの志が空間に共鳴している。

2014.11.9「上杉謙信の居城 春日山城を行く Ⅰ」

「上杉謙信の居城 春日山城を行く Ⅰ」

上杉謙信の居城の春日山城に。飯山からは国道292号線で富倉峠を越えると新潟平野に広がる上越市高田にでます。ここに、その城はありました。広大な春日山に展開する城で、すべて歩けばちょっとしたハイキングとなります。春日神社の前をスルーして、すれ違いも大変な山道を車で上がると駐車場があります。ここに車を止めて歩くのがベストです。春日山城の核心を最も楽に歩けます。

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丁度、紅葉が美しい時期で駐車場のもみじもオレンジ色に色づいていました。

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ここから、核心部に登っていきます。

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登り口にこの看板。甘粕近江守の邸宅跡。越後国三条城主で、上杉四天王、越後十七将の一人。四回目の武田信玄との川中島の戦いで、武田軍は兵を二手に分けて、別働隊に妻女山の上杉軍を攻撃させ、上杉軍が勝っても負けても山を下るから、これを平野部に布陣した本隊が待ち伏せし、別働隊と挟撃して殲滅する作戦を実行した。これが有名な啄木鳥(きつつき)が嘴(くちばし)で虫の潜む木を叩き、驚いて飛び出した虫を喰らうことに似ていることから、「啄木鳥戦法」と名づけられたものです。甘粕はこの別働隊を待ち伏せたことでキツツキ戦法を邪魔したことで有名な武将です。。

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松の木が相当伐採されていました。

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伐採された松の木の穴に地蔵が祀られていました。思わず手を合わせます。

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我々が登っていくと青いジャンバーのおじさんが゜に「もしもし」と声を掛けられました。観光ボランティアとのこと。これはラッキーとばかりにご案内をお願いしました。ここが最初の案内地。単なる山の影で、案内板もないのでふつうは通り過ぎるところ。侍がここに隠れて攻めてきた敵を撃退したとのこと。

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なんということのない土手です。

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上杉三郎の邸宅のあった三の丸に到着。大変な美男子で女性が沢山おとずれるとのことです。

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美男子はうらやましい、死しても嘆かれる。

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米蔵があったらしい。

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二の丸に向かいます。この先に大きな堀のあとや、土塁がはっきりわかるところがあります。

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土塁がはっきりわかります。
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二の丸です。ここには小さな井戸が湧いていました。

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「美男子は 昔も今も 惜しまれる」  BY まうんてんぼーい。 おいおい、季語がない。ちょっとひがみすぎでないかね。

「上杉謙信の居城 春日山城を行く Ⅱ」に続きます。


◎春日山城(ウィデペギア)
上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、長尾為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。しかし、上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終えた。
別名を鉢ヶ峰城ともいう。「春日山」の名称は、奈良の春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来する。春日神社の創建年代は、958年(天徳2年)説、守護上杉氏の築城の際とする説、文明年間(1469年~86年)という説などがありはっきりしない。
上越市の北部にある山。標高 170m。標高 300m前後の難波丘陵の北東端にある一峰。中世,越後守護職として栄えた上杉氏の本城がおかれた。特に上杉謙信が北陸から関東,出羽へと勢力を拡大したときには,山麓に人口3万余を有する大城下町を形成した。

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◎上杉三郎景虎
  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北条氏康の七男。。初めは北条 三郎(ほうじょう さぶろう)と名乗ったと  推定される。のちに上杉謙信の養子になる。謙信が病没すると、義兄弟の上杉景勝との家督を巡る対立が上杉家内 
部の内訌に発展し、御館の乱となった。上杉景信・本庄秀綱・北条高広らの支持を集め、景虎の実家である後北条家とその同盟国である武田家の後ろ盾もあり、当初は景虎が優勢であった。これに対し、景勝側はいち早く春日山城本丸・金蔵を奪取した。5月13日、景虎は妻子らを連れて春日山城を脱出し、城下にある御館(前関東管領である上杉憲政の屋敷)に立て籠もった。北条氏は主力が佐竹・宇都宮連合軍と対陣中だったこともあり、甲相同盟に基づいて武田勝頼に景虎への援軍を打診し、勝頼は同年5月に信越国境まで出兵している。
同年6月に景勝方は勝頼との和睦交渉を開始し、北信地域における上杉領割譲を条件に和睦が成立し、甲越同盟が締結される。6月中に勝頼は越府に着陣すると、景勝と景虎間の調停を開始した。同年8月に景虎と景勝は一時的に和睦するが、8月中に三河国の徳川氏が駿河の武田領国へ侵攻すると、勝頼は越後から撤兵し、景虎・景勝間の和睦も破綻する。翌天正7年(1579年)、雪で北条家からの援軍も望めない中で御館は落城。孤立無援となった景虎は、兄・北条氏政を頼って小田原城に逃れようとしたが、その途上において鮫ヶ尾城主・堀江宗親の謀反に遭って、自害を余儀なくされた。享年26。
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2014.11.9「上杉謙信の居城 春日山城を行く Ⅱ」

「上杉謙信の居城 春日山城を行く Ⅱ」

上杉謙信の居城の春日山城に。「上杉謙信の居城 春日山城を行く Ⅰ」の続きです。

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二の丸です。ここには小さな井戸が湧いていました。

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この城の最大の古木の松が見事な枝ぶりを示しています。今から500年前に上杉謙信もこの古木の側で城下を見たと考えると楽しくなります。

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この松の古木の横に「御成街道」とあります。関白近衛前嗣が通ったことから御成街道と呼ばれている山道です。上杉謙信は二度の上洛で、前嗣と親交を深めました。前嗣は、永禄3年(1560)謙信を頼って越後府中に下向し、三年間滞在しました。当時、京都に次ぐ大都市といわれ、繁栄の極みにあった越後府中文化は、前嗣の来訪によりさらに、洗練されることになったと言われてます。

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二の丸あたりの紅葉が盛りでした。

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天守閣のある天守台に到着しました。

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ここに登る直前の左手に大きな穴。場内を潤す大きな井戸です。

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天守閣はありませんが眺めはすばらしく飯山から超えてきた山々が眺められます。

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天守閣からさらに移動したところに本丸がありました。小広い広場となっています。

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ボランティアのおじさんはさらに弁舌さわやかに景観図を抱えての説明です。

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遠い直江津港も手に取るように見えました。

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上杉謙信が、能登征伐で遊佐弾正の七尾城を攻めるときに、偶々、九月十三夜の明月で、陣中にて詠んだもの。看板がありました。ここからの名月も素晴らしいでしょう。

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「九月十三日陣中作」   上杉謙信
霜満軍営秋気清          霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行過雁月三更          数行の過雁(かがん) 月三更(さんこう)
越山併得能州景          越山併(あわ)せ得たり 能州の景
遮莫家郷憶遠征          遮莫(さもあらばあれ) 家郷遠征を憶うを

霜が陣営を白く覆って、秋の気配が清々しい。
真夜中の月が冴えざえと照り映える中、幾列かの雁が空を渡ってゆく。
越後・越中の山々に加え、遂にこの能登の風景も手中に収めることができた。
故郷では家族が遠征にある我が身を案じているだろうが、とりあえず今夜はこの十三夜の月を眺めていよう。

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すっかり満足した愉快な仲間は私をおいてさっさと下ります。

◎春日山城(ウィデペギア)
上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、長尾為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。しかし、上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終えた。
別名を鉢ヶ峰城ともいう。「春日山」の名称は、奈良の春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来する。春日神社の創建年代は、958年(天徳2年)説、守護上杉氏の築城の際とする説、文明年間(1469年~86年)という説などがありはっきりしない。
上越市の北部にある山。標高 170m。標高 300m前後の難波丘陵の北東端にある一峰。中世,越後守護職として栄えた上杉氏の本城がおかれた。特に上杉謙信が北陸から関東,出羽へと勢力を拡大したときには,山麓に人口3万余を有する大城下町を形成した。

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◎上杉三郎景虎
  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北条氏康の七男。。初めは北条 三郎(ほうじょう さぶろう)と名乗ったと  推定される。のちに上杉謙信の養子になる。謙信が病没すると、義兄弟の上杉景勝との家督を巡る対立が上杉家内 
部の内訌に発展し、御館の乱となった。上杉景信・本庄秀綱・北条高広らの支持を集め、景虎の実家である後北条家とその同盟国である武田家の後ろ盾もあり、当初は景虎が優勢であった。これに対し、景勝側はいち早く春日山城本丸・金蔵を奪取した。5月13日、景虎は妻子らを連れて春日山城を脱出し、城下にある御館(前関東管領である上杉憲政の屋敷)に立て籠もった。北条氏は主力が佐竹・宇都宮連合軍と対陣中だったこともあり、甲相同盟に基づいて武田勝頼に景虎への援軍を打診し、勝頼は同年5月に信越国境まで出兵している。
同年6月に景勝方は勝頼との和睦交渉を開始し、北信地域における上杉領割譲を条件に和睦が成立し、甲越同盟が締結される。6月中に勝頼は越府に着陣すると、景勝と景虎間の調停を開始した。同年8月に景虎と景勝は一時的に和睦するが、8月中に三河国の徳川氏が駿河の武田領国へ侵攻すると、勝頼は越後から撤兵し、景虎・景勝間の和睦も破綻する。翌天正7年(1579年)、雪で北条家からの援軍も望めない中で御館は落城。孤立無援となった景虎は、兄・北条氏政を頼って小田原城に逃れようとしたが、その途上において鮫ヶ尾城主・堀江宗親の謀反に遭って、自害を余儀なくされた。享年26。
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