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2015.4.26飯山農的生活 菜の花祭りに行ってみた」

「飯山農的生活 菜の花祭りに行ってみた」

豪雪の地にも遅い春がやってきました。暖かい陽気に誘われ、菜の花公園にサイクリング。古民家からは往復45キロの道のりです。「飯山農的生活 菜の花公園へサイクリング」の続きです。菜の花祭りはゴールデンウィーク中に行われます。菜の花が黄色いじゅうたんを敷き詰めたようになりますが、この日は五分咲きでした。桜の競演が昨年は楽しめましたが今年はソメイヨシノは一週間程度て゛パット咲いて、パット散ってしまったので昨年ほどの感動の競演はみられませんでした。

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菜の花公園のシンボルの桜の大木。見事に満開。菜の花と桜の競演が楽しみです。

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菜の花ごしに高社山が春霞にかすみます。

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空には鯉が泳ぎます。

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この絶景。サイクリングで渡ってきた大関橋の先には関田山脈が見えます。

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上の写真と同じ景色を写したパネルの解説がき。

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千曲川の向こうに斑尾山

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菜の花公園が最高の季節を迎えています。一日、ボーとしていたいなあ。

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菜の花公園のシンボル。教会でありません。売店です。

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あら。温かさと景色に誘われてほのぼのした光景。

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この日はまだまだ五分咲き、のんびりした光景が広がります。一週間後のゴールデンウィークには菜の花は満開を迎え、シャトルバスまで出して観光客に対応するほどの盛況でした。

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私も売店でおやきを買って、ベンチでほのぼのです。

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サイクリングで疲労した体をソフトクリームで糖分を補います。名物「菜の花ソフト」。

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「あたたかき 菜の花の中 走る子ら」 BY まうんてんぼーい

◎菜の花公園(ホームページ)
・場所   長野県飯山市大字瑞穂413番地(南付近)【地図はここをクリック】
・アクセス 上信越自動車道豊田飯山インター下車 十日町方面へ約20分
        (飯山市立東小学校となり)
       北陸新幹線・JR飯山線 飯山駅よりタクシー約20分
       北陸新幹線・JR飯山線 飯山駅より、長電バス(飯山・野沢線)にて野沢行
       「湯の入荘入口」下車徒歩5分
        (湯の入荘入口バス停は下掲リンク内時刻表の「中村」と「関沢」の間に
         位置します)


2015.5.2「新潟名物へぎ蕎麦を食する。まるにし」

「新潟名物へぎ蕎麦を食する。まるにし」

新潟六日町駅近くから十日町に山越えで伸びる国道253号線を六日町に向かい走る。新潟県十日町に近い長岡にはへぎ蕎麦の名店小島屋があるが寄り道する時間もないので国道沿いで評判の「まるにし」に寄ってみた。

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十日町が近くなると右手にこの看板が見えます。駐車場には15台ほどの駐車スペースがあります。看板には「華相へぎ」
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のれんをくぐります。

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店内はテーブルと広い小上りと奥部屋があり結構大きな店です。

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さて、何を注文しようかとメニューを覗き込みます。「へぎ蕎麦」、「花へぎ」、「相へぎ」とあります。そもそもへぎ蕎麦は新潟県魚沼地方発祥の、つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使った蕎麦をヘギといわれる器に盛り付けた切り蕎麦のことです。さらに、広い意味では布海苔という海藻を使った蕎麦をいってます。
「華へぎ」はへぎ蕎麦の上に海苔をのせたもの、「相へぎ」はそばとうどんがへぎに盛りつけてあるもの。それで、この店の入口の暖簾にうどんとあったのかと合点した次第。

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天ぷらそばを注文。

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へぎに盛っていないが蕎麦は同じなのでへぎそば。丸く太いツルツル蕎麦。食感が普通のそばとは違います。のりがのっているので華へぎ。やはり、信州そばとは少し食感が違います。

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天ぷらはレンコン、明日葉、タラの芽、海老、シイタケ、南瓜、イカ。

信州蕎麦になじんだ人間には食味が違うので賛否両論でしょうね。

◎まるにし
TEL 025-757-1263
住所 新潟県十日町市八箇甲385-7
交通 関越道六日町インターより15分(ルート253沿い)
営業 平日:AM11:00~PM9:00
    日曜・休日・祝祭日:AM11:00~PM8:00

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2015.4.13「門前仲町で知る人ぞ知る名店 海の幸」

「門前仲町で知る人ぞ知る名店 海の幸」

愉快な仲間と久々の門前仲町。職場が変わったので門仲からは足が遠のいていたが、名店発見の報に駆けつけました。何せ、日本酒メニューが飲み放題のうえに、築地の卸の店で肴が半端ないとの話。それで、コース5600円。

当日はあいにくの土砂降り。雨に濡れながら富岡八幡宮前を永代通りに沿って東陽町方面に歩きます。その店は富岡八幡から二筋ほど行ったところにありました。「海の幸」。

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すでに、「準備中」の看板がかかります。間違いでなく、予約だけで満席ということ。

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二階建てで一階にテーブルが5席程度の決して大きいサイズの店ではありません。こちらはすべて日本酒の冷やは二合ででてきます。

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飲み放題は、お店にあるメニューから選べます。まずは「伯楽星特別純米」を注文。とても、すっきりした酒です。糖分が少ないので料理のうま味を引き出してくれます。究極の食中酒と言われるだけあります。裏ラベルに、 『究極の食中酒』を意識し、「一層食材を引き立てること、きれいで爽やかなキレを演出する事を大切にしています。繊細ながらも芯のある味わいをお楽しみください」と書くだけあります。

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待ち人来らずで一人でさっさと開始。コースの中のおしんこを出してもらいました。

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続いて、白ワインのような味わいの「楯野川の純米大吟醸 清流」。若々しく爽やかな果実のような香りと酸味、さらりとした優しい後味の酒。

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どやどやと愉快な仲間が来訪。早速コースを始めて頂く。いや、勝手に一人で初めていました。まずはお造り。日本酒とあいそうで新鮮さがにじみ出ます。

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名物「ばくだん」。海鮮納豆。海苔に巻いて頂きます。

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ここで、万を持して、「春毅」を注文。「甘い酒を甘く感じさせず、辛い酒を辛くかんじさせない。最高のキレと芳香」と裏ラベルに書く。正真正銘のうまい酒。

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ふわふわの厚焼き玉子。箸休め。

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豚の角煮。とろとろ。まいうー。

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牛蒡天と鶏から。肉攻撃。

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ここで、本日、二合徳利の4本目の「陸奥 八仙」特別純米を注文。

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うにが箱で出てきました。

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粒が大きい。すっかり日本酒と肴を堪能。

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最後に真打というか締めにすしの握り。感服。

門仲にいらしたら、店員さんの対応も気持ち良く、酒と肴は文句なしの「海の幸」に。大拍手。


〇伯楽星 特別純米
使用米・・山田錦
精米歩合・・60%
日本酒度・・+4
酸度・・1,7
アルコール度・・15,8
      宮城・新澤醸造店

株式会社 新澤醸造店
所在地〒989-6321 宮城県大崎市三本木字北町63
創業 140年

〇楯野川 純米大吟醸 清流
原料米: 庄内産出羽燦々   (契約栽培米)
精米歩合: 50%
使用酵母: 山形KA 協会1801号
アルコール度数: 14~15 度
日本酒度: -2
酸度: 1.4
アミノ酸度: 1.0

楯の川酒造株式会社
山形県酒田市山楯字清水田27番地
電話番号: 0234-52-2323
創業: 天保三年(1832年)

〇越の雪舟 春毅(はるき)純米吟醸 小仕込み低温発酵 濃厚芳醇仕上げ 23BY
原料米「不明」
使用酵母「不明」
精米歩合「55%」
アルコール度数「15度」
日本酒度「不明」
酸度「不明」
中味を公開していません。

合資会社 竹田酒造店
新潟県上越市大潟区上小船津浜171
創  立 慶応2年

〇陸奥八仙 特別純米
火入れ回数  タイプ2回
麹米 まっしぐら
掛米 まっしぐら
酵母協会1001号
精米歩合 60%
日本酒度+3
酸度1.4
アルコール度数15

八戸酒造株式会社
☎ 178-33-1171FAX0178-34-1174Mailinfo@mutsu8000.com住所〒031-0812
青森県八戸市大字湊町字本町9番地

◎海の幸
TEL 050-5869-7207 (予約専用番号)
    03-3643-0965 (お問い合わせ専用番号)
住所 東京都江東区富岡1-22-20
交通 地下鉄 東西線「門前仲町」駅 
    1番出口を出て左折 富岡八幡宮前を通過、2つ目の角を左折したらスグ!
営業 ランチ 11:30~14:00
    夜 17:00~23:00
定休 日曜・祝日 

2015.5.5「飯山の農的生活 千曲川花の駅前の菜の花に絶叫」

「飯山の農的生活 千曲川花の駅前の菜の花に絶叫」

飯山の春を告げる「菜の花公園の菜の花祭り」(2015.3-5.6)以上にひっくり返る絶景が楽しめるのが千曲川花の駅前の菜の花畑。千曲川の河川敷に何万本ともしれない菜の花が咲き黄色いじゅうたんを敷き詰めたよう。菜の花公園の絶景も良いが、一層、ひっくり返りたい人にお勧め。その壮観な黄色に絶叫「なんと、まっきっき」

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野沢方面。奥の山すそに見える黄色いじゅうたんが菜の花公園。

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黄色の海に浮かぶ高社山。

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まさに黄色の海を人が泳ぐがごとし

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河川敷に降りてきて改めて野沢方面。圧巻。

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この道は、道の駅につながり歩いて一分。まさに道の駅の前にこの絶景が広がります。

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沢山の観光客が菜の花の中を歩く歩く

菜の花ショット

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菜の花の海に埋もれて、高社山を仰ぎ見る。

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菜の花のほほえましいショット

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<番外>この時期だけ菜の花千曲川の渡し船が営業しています。

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「人々が 菜の花のなか 泳ぎけり」 by まうんてんぼーい

◎菜の花
菜の花の名句

与謝蕪村(1716-1783年)
菜の花や 月は東に日は西に
菜の花や 鯨もよらず 海暮ぬ
菜の花や 摩耶を下れば 日の暮るる (「摩耶」とは六甲山系の摩耶山のこと。眼下は神戸の海)
菜の花を 墓に手向けん 金福寺

小林一茶
なの花にうしろ下りの住居かな

夏目漱石
菜の花の遙かに黄なり筑後川


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◎道の駅「花の駅・千曲川」
駐車場は50台以上止められます。さらに、下の農協の駐車場も解放するので駐車は無料。

長野県飯山市大字常盤7425
0269-62-1887

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2015.5.2.「飯山の農的生活 我が家の庭にも春爛漫」

.「飯山の農的生活 我が家の庭にも春爛漫」

飯山の家では4月末になると春爛漫。雪もついに一塊を残して消失しました。一か月前まで除雪に追われた毎日が信じられません。除雪から解放されると何をしていいかわからず呆然自失の毎日。敷地を歩いて、まず、何から手を付けるかを考えます。

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家の前の今年、米を作る田んぼの雪はやっとなくなり、乾かしています。
しっかり田は乾かさないとよい米が作れないそうです。しっかり水抜きを確認しました。

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前庭には水仙が美しい花を咲かしています。

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北側の融雪池もずっと雪に埋もれていましたがすべて姿を現しました。ここは池になっています。周りを剪定して、冬に溜まった土を掬いだします。

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よもぎも至る所に生えています。よもぎ餅でも作るかな。

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西側の融雪池。ここは手前の最も深い融雪池が完全に埋もれて、三mの積雪となったところです。すっかり雪は融けましたが山側のために泥が大量に流れ込み、泥をかきださねばなりません。かき出していると泥と一緒にどじょうが飛び出しびっくり。

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南側の融雪池。ここも一端埋まりましたが融雪池として活躍してくれました。

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丁度飯山線の下りが通過。飯山線は一日のアクセント。家のすぐ裏を走ります。一両編成です。


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雪が融けて、野沢菜を収穫してしまった場所を耕します。ジャガイモとトマトを植えます。ジャガイモは「インカのめざめ」という原産地南米アンデス地域のじゃがいもを植えます。茎は短くて細く、葉は小葉、花は淡紫色、肉色は濃黄色です。栗やさつまいものような風味で、食味が良く、煮くずれが少なく、人気のある高級じゃがいもです。

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肥料はキャッチコピーに惹かれてこれを使います。

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ジャガイモの種と種を半分に切った時に切った断面に塗る草木灰も用意しました。

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半分に切って草木灰をつけます。

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肥料を蒔いて、土と混ぜて、ジャガイモの種を植えました。

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隣には土の保温と水分確保のためにマルチとして、黒いビニール袋を代用したものを用意してトマトの苗を植えました。

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雪融けが遅かったところも雪の下で冬越しした野沢菜が姿を現しました。肥料づくりのコンポストは雪の重みで壊れていました。

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野沢菜の根の部分です。秋菜を収穫後のこの蕪を畑に残し、翌春その蕪から30cm位に成長した芽を『とうたち葉』といいます。独特の辛味を有し、浅漬にしたり炒めて食べます。収穫が楽しみです。

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当家の桜も遅い開花です。

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敷地に最後まで残った雪

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本日から今年から作付する畑の開墾?を始めました。長らく放置されていた畑です。すぐわきは飯山線の線路です。

「春の陽を 受けて育てよ とうたち菜」 BY まうんてんぼーい

2015.5.2「天地人の地 樺沢城を行く」

「天地人の地 樺沢城を行く」

上杉謙信の居城の春日山城は飯山からは国道292号線で富倉峠を越えた新潟平野に広がる上越市高田にあります。春日山城では上杉謙信の急逝を受けて、1579年に北条氏から謙信の養子となった景虎と謙信の姉の子景勝との間で家督争いがありました。雪で北条家からの援軍も望めない中で御館にこもった景虎軍は落城します。この時の家督をついだ勝者が生まれた地を訪れてみたいとゴールデンウィークの初日に越後上田庄、現在の六日町市まで足を延ばしました。この景勝とその家臣直江兼続の話はNHKの大河ドラマの「天地人」の題材ともなりました。

国道17号を六日町に向かう途中で上越国際スキー場入口の交差点を左折しました。ここに、樺沢城址があります。
この地は越後府中につながる栃窪峠、大沢峠を背後に控え、関東の玄関口の三国街道、清水街道の分岐を抑える軍事上すぐれた場所にあります。「御館の乱」では景虎支援の北条軍を迎え撃つ最前線であったところ。歴史の深さを感じられるところです。

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ここから城址のあとをめぐれるとともに城下のそここにこのような案内板があり、城下を回ると半日、城址の本丸まで登ると1時間半とのことです。

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まだ、本丸あたりは雪に覆われているとのことで行くのはあきらめました。樺沢城の本丸は標高300Mの山頂にあり、腰を帯曲輪が二重に取り巻き、 中腹以下を三重四重の空掘土塁で防御する堅固な山城です。

この入口に車が10台ほど止められる無料駐車場があります。また、左手には上杉家由来の禅寺龍澤寺があります。

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次回、来たときは山頂までのぼり上田庄を眺めてみたいと思います。「天地人」の世界をもう少し回ってみます。

◎樺沢城(樺沢保存会ホームページ)
樺沢城は南北朝時代は鞠子城と称し、新田義貞の家臣である田中右衛門尉の居城といわれている。
戦国時代後期の戦乱の時代に長尾景虎(後の上杉謙信)が越後を平定した。
天文20年(1551)年、景虎は姉の綾姫を坂戸城主である長尾政景に嫁がせ、樺沢城の改築を命じた。
政景はその家臣である栗林・深沢・登坂等の武将に命じ改築させた。城下は桜町と称され関東遠征の際の宿所とされた。
樺沢城は清水街道、三国街道を扼す重要な位置にあり、春日山城から関東までの最短距離上にあったので、政景はここを関東からの情報基地にしたと思われる。 政景夫人の綾御前も常に当城に居たらしく、結婚5年目の弘治元年(1555)11月27日に当城で男子が誕生した。
幼名は「卯ノ松」といい、後にこの男子が上杉景勝となるのである。
母の綾御前は夫の長尾政景亡き後、仙桃院と号し常にこの城に住んでいたと思われる。
景勝は永禄2年(1559)3歳で上杉謙信の養子となり、同年5月11日元服して喜平冶(顕景)と称した。
その後、天正3年(1575)1月11日、弾小弼景勝と改名し、天正6年(1578)3月謙信の死去に伴い、上杉家を相続した。
謙信は天正6年(1578)3月13日に49歳で脳卒中が原因でなくなったが、その直後、後世「御館の乱」と言われる家督争いが始まった。
謙信にはもう一人養子がいた、それは、関東小田原城の北条氏康と同盟を結んだ時に人質として越後に来た、氏康の七男の氏秀である。
謙信は氏秀を気に入り、養子とし自分の青年時代の名である「景虎」を与え、さらに元亀元年4月景虎17歳の時に景勝の妹の華姫を妻としたのである。
謙信の死後家臣団は二手に別れ、一方は景勝(24歳)を立て、もう一方は景虎(25歳)を立てて、家名相続を争う戦いとなった。
景虎の兄である北条氏政は九月初め氏照、氏邦に命じ大軍を率いて三国峠を越境、上田の庄(魚沼)に乱入し、樺沢城を攻略した。
北条軍は樺沢城を本拠として坂戸城などを攻撃していたが、冬の迫る九月末に樺沢城に北条(きたじょう)輔広・河田重親を置き帰国した。
当初、景勝軍は劣勢であったが、翌天正7年2月から攻勢に転じ、手薄となった景虎軍を攻め、遂に3月中旬から同24日に景虎を追い詰め 自刃せしめた。夫人の華御前も2人の男の子と共に自害し、樺沢城の奪回にも成功した。
この戦いにおいて当城の番将である栗林政頼は「肥前守」の位を与えられ、樺沢城主を命じられた。
御館の乱から20年後の慶長3年(1598)に景勝は豊臣秀吉から会津120万石に国替えを命じられた。
これに伴い、樺沢城は廃城となった。
昭和35年(1960)頃から地元有志による城跡保存会をつくり、上杉景勝公生誕の碑を建立し、同40年(1965)に新潟県文化財を申請した。

◎樺沢城址へのアクセス
新潟県南魚沼市樺野沢30番地
車利用:  関越自動車道「塩沢石打IC」より15分 (国道17号線を新潟方面へ)  国道17号線「上越国際スキー場入り口」交差点から上越国際スキー場方面へ3分 (JR上越線高架下をくぐって、すぐ左折して道なり300m)

2015.5.2寺社63「上杉家ゆかりの禅寺 福聚山 龍澤寺」

「上杉家ゆかりの禅寺 福聚山 龍澤寺」

上杉謙信の急逝を受けて、1579年に北条氏から謙信の養子となった景虎と謙信の姉の子景勝との間で家督争いがありました。雪で北条家からの援軍も望めない中で御館にこもった景虎軍は落城します。この時の家督をついだ勝者景勝が生まれた地を訪れてみたいとゴールデンウィークの初日に越後上田庄、現在の六日町市まで足を延ばしました。

国道17号を六日町に向かう途中で上越国際スキー場入口の交差点を左折しました。ここに、樺沢城址とともに、上杉家ゆかりの禅寺 福聚山 龍澤寺があります。

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山門。案内板には、「景勝公・兼続公も幼少若年の頃しばしば出入りした旧山門が老朽化した為に嘉永2年(1849)当山22世関忠和尚代に、現山門が再建されました。重厚且つ優美で風格があり越後随一の文殊菩薩のお寺を参拝するにふさわしい山門です。」とあります。

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本堂。8:30から堂内の観覧が無料でできます。

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本尊の文殊菩薩が拝めます。文殊菩薩はお釈迦様のお弟子の中で「智慧第一」の菩薩とされていて一般にも「三人寄れば文殊の智恵」などのことわざでよく知られています。

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寺内部の欄間の龍の彫り物。迫力に圧倒されます。

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撫で文殊。輪をくぐり撫でて祈願をします。

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立派な庭園が本堂の前にありました。この寺は上杉景勝の母親である仙桃院(上杉謙信公の姉)が文殊菩薩に深く帰依し、景勝の合戦勝利・武運長久を願い、文殊菩薩を龍澤寺に奉安したと言われています。

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天地人の主人公の一人である上杉景勝はこの地の樺沢城で生まれたことがわかります。

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薬師堂

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西門を抜けると樺沢城址への登り口があります。

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参拝を終えてご朱印を頂きました。

天地人の里は奥の深さを感じます。次は国道17号をいよいよ天地人の人々が活躍した坂戸城址に向かいました。

◎龍澤寺(ホームページ)
臨済宗円覚寺派(神奈川県鎌倉市)に属す。室町時代前期、応永27(1420)年に、白崖宝生禅師三世の孫である、不蔵青単禅師により開創され、開山は夢庵祖観禅師です。 現在の伽藍(建物)は今から270年余り前の、江戸時代中期・元文2(1737)年、徳川八代将軍吉宗の頃に再建されました。 ご本尊は智慧の仏様として広く信仰の篤い「文殊菩薩(大聖文殊師利菩薩)」で、尊像は名仏師・毘首羯磨とされています。文殊菩薩のみをご本尊とするのは全国的にも希少で、県内では例を見ないようです。 当寺は吉野朝時代からの山城・樺沢城跡の城の入り口30番地にあたります。 当寺の正面にあたる樺沢城趾は、坂戸城跡と並ぶ上杉氏ゆかりの城跡で、関東方面に備える重要な拠点でもありました。このことから、天正5(1577)年7月30日に、戦国時代の雄、上杉謙信公より当寺宛に御朱印状を賜っています。

◎龍澤寺へのアクセス
新潟県南魚沼市樺野沢30番地
電話番号:025-782-1464
車利用:  関越自動車道「塩沢石打IC」より15分 (国道17号線を新潟方面へ)  国道17号線「上越国際スキー場入り口」交差点から上越国際スキー場方面へ3分 (JR上越線高架下をくぐって、すぐ左折して道なり300m)

2015.5.3>「飯山の農的生活 とうたち菜を収穫」

「飯山の農的生活 とうたち菜を収穫」

飯山の家では雪もついに一塊を残して消失しました。昨年、野沢菜と白菜を植えていた畑も雪が融けて、野沢菜や白菜が姿を現しました。雪の下で冬を過ごしたのが驚きです。さらに、この秋菜を収穫後の蕪を畑に残し、翌春その蕪から30cm位に成長した芽を『とうたち葉』といい立派な野菜として食されています。独特の辛味を有し、浅漬にしたり炒めて食べます。

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4月26日にはこんな状態の野沢菜でした。

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一週間後の5月2日には真ん中の茎が立ち上がりました。

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こんな感じです。この茎を収穫します。実は白菜からも茎が立ち上がりました。白菜も野沢菜もアブラナ科の植物。アブラナ科の冬越し後の春取りをとうたち菜というようです。

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はくさいのとうたち菜

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立派に育ったとうたち菜を収穫します。

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こんなに収穫できました。さっそくお浸しにして食します。ちょっと苦みがあり、とてもおいしく、病み付きになる味です。

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ご近所からこごみをたくさんいただきました。雪融けで一斉に出たようです。獲っても獲っても獲りきれないといわれ、おすそ分けを頂きました。

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こごみはさっと茹でて、こごみの色が変わり再沸騰したくらいでOK。

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とうたち菜もおひたしにして、こごみと一緒にたべます。

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こごみはしょうゆマヨネーズで食べます。お酒がすすみます。とうたち菜は鰹節と醤油で頂きます。独特のからみがあり美味しいです。まさに、食卓も春爛漫。

<番外>

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敷地内にはタラの芽がでました。さっそく天ぷらにします。

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近くには源氏咲きの椿が満開です。

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芝桜。石垣一杯に繁殖させたいです。しかし、美しい。小さくても集まると素晴らしい。

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春を告げる花の定番チューリップ。まずは一番花は真っ赤。

「朝起きて 庭を歩けば 花見かな」 BY まうんてんぼーい

2015.5.5「飯山の農的生活 米作り初体験① 田おこし、肥料まき」

「飯山の農的生活 米作り初体験① 田おこし、肥料まき」

4月中旬には田の雪も融けて、田圃をしばらく乾かします。この際に、水抜きがしっかりできるように水抜き栓が抜けているかを確認します。続いて、田おこしまえに元肥を蒔きます。とりあえず、専業農家でなく、週末農業なので、有機肥料、無農薬での収量を気にしない方針で臨みます。
私の米作りの師匠は今年の雪の多さからゴールデンウィーク明けの田起こしと言っていました。そこで、ゴールデンウィークの5月2日に耕運機を購入したものの、4月末からの晴天続きで、急遽5月3日に田起こしとなりました。耕運機はまだ届いていません。今年は田起こしは人に頼む羽目に。

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しばらくは乾かしていました。まだ、一部に水が溜まっています。4月中旬頃。

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5月3日に突然師匠が来訪し、同じ集落のFさんに田起こしを依頼してくれました。トラクターなので早い早い。田起こしは収穫後や稲を植える前の乾いた田の土を掘り起こし、細かく砕く作業のことです。田打ちともいうようです。この目的は代かきをしやすくし,田植えをしやすくすることにあります。それ以外に肥効効果,土壌改良材や元肥を全体に施すこと,除草効果などもあります。

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あっという間に田を起こします。

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トラクターの方が楽そうです。耕運機は大変かな。トラクターにしておけばよかったかな。

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20分ほどで田起こしが終了しました・

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一部の田圃はトラクターがはまると抜けられなくなるので手で起こすしかありません。

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すべての田起こしが終了しました。

本当は田起こし前に肥料を蒔くのですが急に田起こしとなり、順番が逆になりました。

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田起こしが終わってからまず手前の田圃に肥料を蒔きます。肥料は「みゆきライス」というこの辺りの土壌に合わせて開発された肥料を使用します。この肥料は20キロ2400円です。これを1反あたり2袋を蒔きますが1袋と1/5を蒔きました。減肥農業です。

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スボスボと長靴が土にとられてなかなか前にすすめません。歩くだけで重労働。これは田起こし前にまかなければ大変だとよくわかります。

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もう一枚の田圃も田起こしをしてもらいました。

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こちらも肥料まきと田起こしのあとさきが逆となりましたが肥料を蒔きます。

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こちらの田圃は千曲川の河川敷内にあります。

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やっと作業が終了。チューリップに疲れをいやしてもらいます。

◎田起こしの目的(「クボタのたんぼ」サイトを参照)
秋に田んぼの水を抜いて乾かし、春に深く耕して地力を向上させ、収量を増やす方式です>
1..土を乾かす
土が乾くとチッソ肥料が増加します。土に含まれる窒素は、植物が利用しにくい有機態窒素の形で存在しています。土が乾くと、微生物による有機態窒素の分解が促進され、植物が吸収しやすい無機態窒素に変化します。これを「乾土効果」と言います。
また、土を起こして乾かすと、土が空気をたくさん含むので、稲を植えたときに根の成長が促進されます。深く耕すほど高収量が得れらるという意味で「七回耕起は、肥いらず」「耕土一寸、玄米一石」などと言われてきました。
2.肥料を混ぜ込む
肥料をまいてから田起こしをすれば、土に肥料をまんべんなく混ぜ込むことが出来ます。
3.有機物を鋤き込む
稲の切り株や刈り草、レンゲなどの有機物を鋤き込むことが出来ます。この有機物を微生物やミミズなどが分解して、養分を作り出します。これが有機質肥料です。有機質肥料の中には、チッソ・リンサン・カリをはじめとして、微量な養分も含まれています。
4.土を砕いて団粒化する
土を細かく砕き、植物が腐って出来た有機物である「腐植」とくっついて、直径1~10mmの小粒になったものを「団粒構造」と言います。

2015.5.5寺社64「信州三大霊場 小菅神社を参拝」

「信州三大霊場 小菅神社を参拝」

時間があるときにじっくり参拝しようと思っていた小菅神社にゴールデンウィークにやってきました。小菅神社は飯綱権現限、戸隠神社とともに信州三大霊場の一つに数えられるお山です。本日は小菅山山頂直下の標高900mのところにある奥社まで行く予定です。

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関沢地区にある「二の鳥居」。「一の鳥居」は、千曲川左岸の大関橋のたもと、常盤地区大倉崎にかつてあったとされ、現在は案内板がある。二の鳥居とは2kmの距離があります。いかに大きな寺社かがわかります。

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二の鳥居から、急な坂道を上ると、仁王門。17世紀後半(元禄10年改修)に元隆寺の西大門として建てられ、両脇には金剛力士像が祀られています。集落と畑の中にポツンとあります。

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阿形、吽形。サンスクリット文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音。そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを示しているとされます。 転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などとも呼びますね。

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仁王門から参道を上るとこの標識のあるところを左手に曲がると里宮。さらにその隣に建っているのが講堂。

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講堂の周りには、南大門や中門、金堂などが建っていましたが、戦国時代の武田氏の侵攻でほとんどが焼失。この講堂も1697年に飯山城主の松平氏によって修復されたものです。堂内には阿弥陀三尊像が安置されていました。
車は広い境内に駐車できます。

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阿弥陀三尊像

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案内板に記載のある天上絵は煤によりこんな状態でした。

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3年に1度の7月の中旬に柱松柴燈神事がこの前の祭式場で奉納されます。7世紀から続く天下の奇祭。修験者の験比べとその年の豊作を占ったのが始まりと伝えられます。

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さらに、参道を上っていきます。やがて、講堂から直ぐのところに無料駐車場の表示。5台ほど駐車できます。

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観音堂は、信濃33番観音霊場巡りの第19番札所。かつては小菅山の中腹にありました。菩提院は、もとは大聖院の山内寺院のひとつ、桜本坊。享保年間に中興開基されたという真言豊山派(現在は智山派)の寺院で、大日如来が本尊。明治時代の廃仏毀釈の際、大聖院は小菅神社となり、桜本坊が仏教寺院菩提院として残されました。案内板には川中島の戦いで焼失とあり、飯山地域あたりまでが信玄・謙信の戦いに巻き込まれていたことがわかります。長野まで50キロの地点です。

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参道を登り振り返ると丁度正面に妙高山が堂々たる姿で迫ります。

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奥社への入口の鳥居が見えてきました。

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元隆寺大聖院跡地護摩堂の横に立つ小菅神社奥社への参道入り口の鳥居。標高900mの大岩窟に建つ奥社へはこれより1260m。樹齢数百年の大きな杉並木が左右に広がり、本格的な参道に入ります。

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鳥居の横にあるイトザクラの大木。シダレザクラの一種。

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この鳥居から奥社まで標高差600m、距離1260m。100mごとにこの標識が立ちます。

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一時間ほどで奥社に登りました。ハイキングコースにも、この参道はなっています。奥社への道は拙ブログ「小菅山 小菅神社の奥社へ登る」をご覧ください。

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鳥居の手前に「浅葉野庵」というお店があります。こんな場所に、こんなおしゃれな店に出会うと意外な感じですが静かな時間をすごせます。参拝の折に寄ってみるのもいいかもしれませんね。

◎小菅神社(信州の旅 ホームページ)
小菅神社は白鳳8年(680年)に創建され、大同元年(806年)に本宮が再建され、新しく小菅寺を開いといわれています。
中世には戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場にあげられておりました。本堂、講堂、三重塔、仁王門、鐘楼を構え、37の坊、100の末院、6社、5堂が立ち並び修験、山伏、僧侶が300人いたと云われております。
永禄4年(1561年)に武田信玄の侵攻により奥社を残し諸坊ことごとく焼き払われ衰えてしまいました。その後上杉氏により復興され、さらに飯山歴代城主により保護されてきました。 標高900m大岩窟に建つ奥社 がある。

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広大な神社であるが今は集落の中に遺構が点在します。

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2015.5.5「小菅山 小菅神社の奥社へ登る」

「小菅山 小菅神社の奥社へ登る」

時間があるときにじっくり参拝しようと思っていた小菅神社にゴールデンウィークにやってきました。小菅神社は飯綱権現、戸隠神社とともに信州三大霊場の一つに数えられるお山です。本日は小菅山山頂1047m直下の標高900m強のところにある奥社まで行く予定です。

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この鳥居から奥社まで標高差600m、距離1260m。100mごとに標識が立ちます。

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樹齢数百年と思われる杉の大木の並木道がつづきます。杉並木のおかげで薄暗い参道です。

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しかし、木漏れ日が美しいすがすがしい道。奥社まで1100m地点に来ました。

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参道はまっすぐに続きます。

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アマドコロ。同属のナルコユリ (Polygonatum falcatum) とよく似ています。茎には6本の稜があり、触ると少し角張った感じがします。(ナルコユリの茎は丸い)。葉は普通の緑のものと斑入りのものがあります。花期は春。花は鐘形で色は白く、先の方は緑がかっています。花と花柄のつなぎ目は、突起状にならない(ナルコユリは緑色の突起状になる)。

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元の観音堂のあと、東屋が立って休憩所となっていました。

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観音堂があったことを示す石碑がたちます。観音信仰のあかし「具一切功徳 慈眼視衆生」と彫ってあります。このあと「 福聚海無量 是故応頂礼」と続きます。観音経には観音菩薩は優れた威力、神力を持っておられ、 観音様を信じ念じ、一心に観音様の御名を唱えるならば人生の あらゆる苦難、苦厄を除いてくださり、勇気を与えてくださると説きます。
南無観世音菩薩と声を出して唱うることが、観音信仰の第一歩です。「観音菩薩は一切の功徳を持っておられ、慈悲の
眼をもって衆生をご覧になっておられるのだ。そして一切の衆生を救済済度なされようとしておられるのである。 観音菩薩とは大海のように無量無限の福徳を持って衆生のために垂れ給うご存在であるからである。だからこそわれわれは信心を発して帰命し礼拝し南無観世音菩薩と御名を唱え信仰に励むべきである」という意味だそうです。修験の山である証拠ですね。

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この参道はハイキングコースにもなっています。たくさんの大石になまえや由来があり、標識に記載があります。これを見ているだけでも歩がすすみます。「鐙石」。岩の側面に鐙(あぶみ)型のくぼみがあるため「鐙石」と呼ばれるようです。鐙とは、鞍の両脇に垂らす、足を掛けるための馬具ですね。

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800m道標がありました。まだ、杉並木の中です。

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エンレンソウ(延齢草 別名 タチアオイ)の群落がありました。太く短い根茎から、高さ20-50cmの茎が一本伸び、その先端に3枚の葉を輪生してます。葉は葉柄を持たず、茎から直接でています。葉の形状は丸みを帯びたひし形で、直径は10-20cm。花期は4-6月。3枚の葉の中心から短い花柄が伸び、小さな花をつけます。花は花弁を持たず3枚の緑色または濃紫色のがく片を持ち、横向きに咲いています。

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奥社まで700m道標がありました。まだ杉並木の中です。

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「隠石」。 川中島合戦の際、武田軍の追っ手を避けて、上杉謙信が隠れたとされる石です。信玄は小菅の里まで追って来ましたが、山鳴りと共に突然大岩が崩れ落ち、追い打ちをかけるように大木が倒れて来たため、信玄勢は小菅権現の神威に恐れをなし、ほうほうの体で逃げ帰ったと言われています。

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ここはハイキングコースとなっています。こんな古い表示がときどきあらわれます。奥社を経て標高1047メートルの小菅山山頂に至ります。

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「加耶吉利(かやきり)堂跡」最初に観音堂があったところとあります。石の上に観音像が立っていました。坂上田村麻呂が再建したといわれているそうです。それにしても、坂上田村麻呂の行動範囲の広さに驚かされます。

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段々と参道は急登となります。杉並木がまだ続きます。山門からもう600mも上がってきています。左手の大石は「御座石」。 役行者や弘法大師が参拝の折に座ったという「石」です。小さなくぼみがひとつあり、持っていた杖の先がめり込んだものと言われています。

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小さなくぼみがこれです。

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ついに杉並木が切れそうで先があかるくなりました。杉並木の先はブナ林です。

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奥社まで600mの道標のところで杉並木が終わりました。ちょうど杉並木は660mありました。

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参道というより山道は沢沿いを登って行きます。

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見下ろすとかなりの急登であることがわかります。溶岩性の岩石が露出する急峻な登山道です。

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「船石 」。大海の波頭のなかに船が浮かんでいるようだと言われたことから「船石」と呼ばれる石。です

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木の間から下界の町が見えます。飯山の中心街かな。

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奥社まで500mまでのところに来ました。

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一人静が咲いていました。群生してました。葉は4枚が輪生状に付き光沢があり、縁には鋸歯があります。茎の先に1本の穂状花序を出し、ブラシ状の小さな白い花をつけます。

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「賽の河原」。地形から冥土の三途の川に議せられたようです。

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「愛染岩」。参拝します。愛染明王を祀る祠です。小菅神社は「縁結び神様」といわれます。その謂れの一つです。パワースポット。言い伝えでは、『ある日、加賀の殿様が小菅神社に参拝に訪れた際、美しい娘に一目惚れし、嫁にもらいました。しばらくすると玉のような子どもを授かり、殿様はたいそう喜んで「これは馬頭観音のお陰である」として、安産の礼に大般若経六百巻を寄贈しました。』それ以来、小菅神社は縁結びの神様として、地域の人たちの崇拝を受けるようになったとのこと。この「愛染岩」は恋愛成就をかなえるという愛染明王が祀られています。

女性の参拝者が多いそうです。「縁結び」のパワースポットはもうひとつありますが、それは「小菅山 小菅神社の奥社へ登るⅡ」につづくでご覧ください。


〇歩程
参道入り口(奥社まで1260m)15:29-奥社まで1100m15:34-元観音堂跡15:43-鐙石15:45-奥社まで800m15:48-奥社まで700m15:50-隠石15:52-加耶吉利堂跡15:53-御座石15:54-奥社まで600m15:56-船石15:59-奥社まで500m16:04-賽の河原16:06-奥社まで400m16:06-愛染石16:09-蝦蟇石16:10-太鼓橋16:12-奥社まで300m(不動岩)16:14-奥社まで200m16:17-奥社まで100m16:20-鏡石16:21-筑根石16:24-比丘尼石16:24-社務所16:26-16:27奥社本殿16:30-山門17:11

登り  58分 
下り  41分

◎小菅神社(信州の旅 ホームページ)
小菅神社は白鳳8年(680年)に創建され、大同元年(806年)に本宮が再建され、新しく小菅寺を開いといわれています。
中世には戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場にあげられておりました。本堂、講堂、三重塔、仁王門、鐘楼を構え、37の坊、100の末院、6社、5堂が立ち並び修験、山伏、僧侶が300人いたと云われております。
永禄4年(1561年)に武田信玄の侵攻により奥社を残し諸坊ことごとく焼き払われ衰えてしまいました。その後上杉氏により復興され、さらに飯山歴代城主により保護されてきました。 標高900m大岩窟に建つ奥社 がある。

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広大な神社であるが今は集落の中に遺構が点在します。

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2015.5.5「小菅山 小菅神社の奥社へ登るⅡ」

「小菅山 小菅神社の奥社へ登るⅡ」

時間があるときにじっくり参拝しようと思っていた小菅神社にゴールデンウィークにやってきました。小菅神社は飯綱権現限、戸隠神社とともに信州三大霊場の一つに数えられるお山です。本日は小菅山山頂直下の標高900mのところにある奥社まで行く予定です。

「小菅山 小菅神社の奥社へ登る」のつづきです。

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愛染岩の先にこの橋。「太鼓橋」。「神聖な水の流れを渡り神に近づく。」と解説にありました。

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「蝦蟇石」(がま)登り道からはわかりませんが、裏から見ると。

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まさに蝦蟇蛙に似ています。

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眼下に千曲川が見えました。かなり高くに上ってきました。

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奥社まで300mのところまで来ました。急登で結構大変です。修験のヤマですね。不動岩の標識がありますが、最後まで不動岩がどの岩かわかりませんでした。

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奥社まで200mの標識は木の脇で倒れています。もう少しです。

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大きな一枚岩がでてきました。この上を歩いて行きます。「鏡石」です。 表面が鏡のように平らな石です。この鏡石と鐙石、隠れ石、御座石、船石の5つの石の他に、現在存在が不明とされている御割石、大黒石、臥象石の3つを合わせて「七木八石」のひとつとされているそうです。

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奥社まで100m。最後のひと踏ん張りです。

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奥社への最後の登りはこの岩を攀じ登ります。足元から下は20mほどの絶壁です。

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上から見下ろすとこんな感じです。滑落防止の黄色のロープは気休めにもなりません。

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鎖を登りきったところに大量の動物の糞。うさぎでしょうか。木の実ではありません。

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「筑根石」。戦国時代に上杉氏がここで千灯をしたといわれている場所。

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筑根石のさきの崖を攀じ登るといよいよ奥社です。

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奥社本殿の一段下にある社務所が見えてきました。

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社務所前に灯篭。この前に水場があります。

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社務所からはこの階段を上がると、いよいよ奥社です。

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標高900m強の奥社本殿に到着しました。さらに、この横を抜けて小菅山山頂1047mに至ります。

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「奥社 小菅神社本殿」。 天正19(1592)年の修復記録があり、小菅神社の祭神8柱を祀り、本殿と附属宮殿は室町時代中期のもので、昭和39(1964)年に国の重要文化財に指定された。
建物は、南側を正面にして妻入りの入母屋造で、 北面に岩窟を背負って建てられており、庇は北側にはついておらず、西側の階段から社殿に上るようになっている。背後の岩場からは水が滴り、本殿の中には甘露池があって、この池がまず信仰の対象になったのではないかと言われている。また、上杉謙信が川中島出兵の折、必勝祈願の願文を捧げています。本尊は馬頭観音。

参拝をすますと来た道を下ります。参拝をしましたのでゆとりを持って下ります。

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独特の形状の破れ傘がありました。

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スミレもたくさん咲いていました。

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山門が見えてきました。杉並木の中は森林浴さながらに涼しく、薄暗いです。

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山門の手前に往きには気かつきませんでしたが赤い橋がありました。手すりは壊れています。この橋は弘法大師・空海も歩き、橋を渡ると幸せが叶うという「夢のかよひ橋」です。パワースポットの一つです。

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山門を抜けるとすがすがしい青空に妙高山が浮かんでました。

多くのパワースポットのある小菅神社への参拝登山はおすすめです。

〇歩程
参道入り口(奥社まで1260m)15:29-奥社まで1100m15:34-元観音堂跡15:43-鐙石15:45-奥社まで800m15:48-奥社まで700m15:50-隠石15:52-加耶吉利堂跡15:53-御座石15:54-奥社まで600m15:56-船石15:59-奥社まで500m16:04-賽の河原16:06-奥社まで400m16:06-愛染石16:09-蝦蟇石16:10-太鼓橋16:12-奥社まで300m(不動岩)16:14-奥社まで200m16:17-奥社まで100m16:20-鏡石16:21-筑根石16:24-比丘尼石16:24-社務所16:26-16:27奥社本殿16:30-山門17:11

登り  58分 
下り  41分

◎小菅神社(信州の旅 ホームページ)
小菅神社は白鳳8年(680年)に創建され、大同元年(806年)に本宮が再建され、新しく小菅寺を開いといわれています。
中世には戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場にあげられておりました。本堂、講堂、三重塔、仁王門、鐘楼を構え、37の坊、100の末院、6社、5堂が立ち並び修験、山伏、僧侶が300人いたと云われております。
永禄4年(1561年)に武田信玄の侵攻により奥社を残し諸坊ことごとく焼き払われ衰えてしまいました。その後上杉氏により復興され、さらに飯山歴代城主により保護されてきました。 標高900m大岩窟に建つ奥社 がある。

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広大な神社であるが今は集落の中に遺構が点在します。

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2015.4.19「飯山の農的生活 腹の黄色い鳥に起こされる」

「飯山の農的生活 腹の黄色い鳥に起こされる」

飯山の古民家の朝は早い。静かな環境で鳥の声で起こされる。朝焼けの光が差し込む窓越しに「チチン、チチン」という鳴き声。外に出てみると鳥が飛び回っていました。
キセキレイです。美しい黄色いお腹を見せています。

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「春の朝 キセキレイに 起こされる」 BY まうんてんぼーい

◎キセキレイ(ウィディペギア)
体長 20センチ・メートル ほど、頭から肩、背にかけてが灰色、上腹部が白色、下腹部が黄色。
夏季は渓流沿いなどに好んで棲み、セグロセキレイ、ハクセキレイとは概ね棲み分けている。積雪地に棲む個体は冬になると暖地へ移動する。冬季には市街地の水辺でも観察される。冬季は単独で、夏季は番いで縄張り分散する。雄は特に縄張り意識が強く、同種およびセグロセキレイ、ハクセキレイと追いかけ回して縄張り争いをする様子もよく観察される。夜間は近隣の森などに塒を取る。
食性は動物食で、日中は水辺を歩きながら水中や岩陰などに棲む昆虫類やクモ類などを捕えて食べる。また飛んでいる昆虫を捕まえるフライング・キャッチをする様子も観察される。
崖のくぼみ、枝の茂み、人家の軒下などに、枯れ草や植物の根を使った皿状の巣を持ち、1腹4-6個の卵を産む。抱卵期間は12-14日で、主に雌が抱卵する。雛は11-13日で巣立ちし、その後数日で親から独立する。
地鳴きは「チチン、チチン」で、ハクセキレイに似るがやや高め。飛翔時に鳴く。


2015.5.16「飯山の農的生活 米作り初体験② 畔の草刈り」

「飯山の農的生活 米作り初体験② 畔の草刈り」

5月中旬には周りの田では代掻きが始まりました。代掻きとは、田起こしが完了した田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業です。師匠は自分の田では代掻きを始めましたが私には畔の草刈りをするように言われ、今週は草刈です。まだ、購入した耕運機も納入されていないので、もっとも、代掻きはできません。

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畔の草があっという間に伸びていました。放置すると稲の病気を媒介するカメムシの根城となります。カメムシ類は畦畔等のイネ科雑草の穂で増殖し、イネの出穂とともに水田に侵入して斑点米の原因となります。畦畔の草刈りを適切に行うことがこのため重要となります。

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田起こしして一週間がたった田圃です。この一週間は天気は雨の日が2日ほどありました。

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拡大するとこんな感じです。

畔の草刈りのために半年ぶりに草刈り機を稼働させます。使い方をすっかり忘れて一から、解説書を読みます。

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まずは混合ガソリンをタンクに注入。そのうえでガスをエンジンに送り込むボタンを8回ほど押します。

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スターターを引っ張って、エンジンを始動させますがなかなかうまく言うことを聞いてくれません。しかし、何度かTRY & Errorを繰り返して、やっと指導しました。ブーン。

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早速畔に降りて草刈り作業開始です。簡単と高をくくっていましたが畔の草をすべて刈るのに一時間ほどを要した上に結構な重労働でした。なお、草刈中にカメムシと遭遇し、草刈の重要性を確信いたしました。

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一応、きれいに刈り取りました。これでカメムシの住処を作られないで済みますか。

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やっと作業が終了。チューリップを見ているとさわやかな風が汗の流れる体を癒すように吹きました。

「草刈りで 疲れた身体 風癒す」 BY まうんてんぼーい 

◎畔の草刈りの目的
斑点米の原因となるカメムシ類は畦畔等のイネ科雑草の穂で増殖し、イネの出穂とともに水田に侵入することから、畦畔の草刈りを適切に行うことが重要である。
1)水田畦畔の草刈りを,水稲出穂3週間前、出穂期、出穂3週間後の3回行うことにより、カ
メムシ類の発生量と斑点米混入率を低く抑えることが出来る。
2)畦畔沿いから5~10 条分を区分収穫することにより、収穫物全体の斑点米混入率が減少する。

2015.5.6「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春」

「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春」

湖の形がハート形の北竜湖へ小菅神社経由の急坂を含む45キロコースをバイクランすることに。ちょうど、菜の花公園では菜の花が見ごろを迎えて美しい季節。多くの出会いもあるとワクワクで古民家をスタート。

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さあ、スタート。

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千曲川沿いにサイクリニストに人気のコースを飯山方面にすすみます。

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春の千曲川。新緑に覆われ、生き生きとしています。二か月前まで雪に覆われていたのがウソのようです。

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千曲川沿いの畑ではアスパラが茎を伸ばしていました。

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踏切を渡ります。飯山線は日に6本。ゆっくりと線路を写します。線路はつづく~よ

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千曲川というように湾曲して流れます。このフォルムが美しい。

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おそらく、これは野沢菜のとうたち菜の畑です。黄色いじゅうたんの先は千曲川。

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サイクリングロードは千曲川と並行して走りますが、飯山線もおおむね並行して走っています。たまたま、休日に走る観光列車「おいこっと」に出会いました。

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戸狩野沢温泉駅を通過してすぐの交差点を左折すると戸狩橋があります。この橋は歩道とサイクリングロードが車道と分かれています。

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戸狩橋の真ん中で、しばし、記念撮影。千曲川の先は高社山。

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橋を渡りきるとこの表示。日本海も近いなあ。今度は日本海まで行ってみよう。もちろんバイクで。

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戸狩橋を渡るとさらに道をまっすぐにすすみ、T字路を右折、集落を徐々に登って行きます。

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垣根のツツジがきれいです。

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ペダルを必死に漕いで登って行きます。

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大きな道に当たりました。この道を左折して野沢温泉方面に。菜の花公園では菜の花祭りの真最中。多くの観光客が押し寄せていて、会場から離れた駐車場からシャトルバスでピストン運送です。

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小菅北竜湖入口の交差点に着きました。ここを直進します。

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登ってきた道を一端、底に下ります。左手に見えるのは菜の花祭り用の駐車場です。うーん。気持ちいい。

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振り返ると妙高山がこの姿。

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素晴らしい。関田山脈の眺めの下に自動車の山。菜の花公園は人であふれているな。第三駐車場です。

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喘ぎながら道をあがってきたらこの景色。しばし、休みます。菜の花と妙高山

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菜の花と黒姫山

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妙高を見るにはこの道ですね。どこから見ても美しい。

「菜の花と 青空に映える 妙高山」 BY まうんてんぼーい

ここまで20Kほど走りました。

「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅱ」に続きます。


◎おいこっと(ホームページ)
対象車両:キハ110系車両を改造した「おいこっと」車両
座席数 :2両編成時76名(1両あたり38名)
運転区間:長野駅~十日町駅
※冬季は長野駅~戸狩野沢温泉駅を予定
・車両名「おいこっと」について
「日本人のこころのふる里」を代表するローカル線として、訪れる人すべてに  やすらぎと癒しを提供したいという思いと、田園風景や川、山など日本人が思い描く  ふるさと(田舎)をイメージしていただくため、東京の真逆にあると言う意味で  TOKYOの英語表記を反対にし「おいこっと」とひらがなで表現しました。

2015.5.6「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅱ」

「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅱ」

湖の形がハート形の北竜湖へ小菅神社経由で急坂を含む45キロコースをバイクランすることに。ちょうど、菜の花公園では菜の花が見ごろを迎えて美しい季節。多くの出会いもあるとワクワクで古民家をスタート。「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春」の続きです。

妙高が美しく見える道を小菅神社に向けて、急坂を喘ぎながら走ります。

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妙高を見るにはこの道ですね。どこから見ても美しい。

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延々と続く長い急坂です。太陽がじりじりと体に注ぎます。先行するサイクリニストに引っ張られるように登ります。

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途中のトンネルで一休み。太陽が遮られ、ひんやりしています。汗が引くのがわかります。

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小菅集落が前方に見えてきました。道はゆるやかになったものの登り基調です。

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道端に源氏咲きの桃が美しい花を咲かせて心が和みます。

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振り返れば妙高。頑張れとはげましてくれているようです。

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小菅神社の仁王門に到着しました。ここからは小菅神社方面に登ります。観光名所で観光客が何人かいました。

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小菅神社方面に走るとこの案内板。ここを左折して北竜湖方面に向かいます。

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左折すると小菅神社の講堂が出迎えてくれます。ここの横を道は走り、林の中につづきます。ここからさらに道は登ってて行きます。

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まだまだ登ります。足が悲鳴を上げ始めました。

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北竜湖にはこの林道を行くしかありませんが車の交互通行が難しい幅の道です。ところどころにすれ違いのスペースがつくってあります。

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喘ぎながら登ってきましがついに最高点に到着。ここを曲がると北竜湖に向かい一気の下りです。

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北竜湖の端にある北竜温泉文化北竜館の前を通過します。ここにも温泉が湧いています。

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眼下に北竜湖が見えてきました。一気に下ります。丁度雪融けの時期で満水の時期を迎えています。

「雪融けで 水をたたえる 北竜湖」 BY まうんてんぼーい

ここまで35Kほど走りました。

「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅲ」に続きます。


◎北竜湖(ウィディペギア)
長野県飯山市にある湖。周囲を走る断層と、火山の爆発によってできたくぼみに水がたまってできた天然湖である。古くは北竜池、早乙女池と呼ばれた。豪雪地帯にあり周囲2.4ヘクタールほどの面積から雪解け水や雨水を集め、春は満々と水を湛えている。春に咲く湖畔の菜の花畑は有名。。

2015.5.6「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅲ」

「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅲ」

湖の形がハート形の北竜湖へ小菅神社経由の急坂を含む45キロコースをバイクランすることに。ちょうど、菜の花公園では菜の花が見ごろを迎えて美しい季節。多くの出会いもあるとワクワクで古民家をスタート。「飯山農的生活 北竜湖周遊45Kサイクリング 素晴らしい春Ⅱ」の続きです。

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眼下に北竜湖が見えてきました。一気に下ります。丁度雪融けの時期で満水の時期を迎えています。湖面に光が当たりキラキラきれいです。

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ゴールデンウィークで湖面にはたくさんのボートやカヌーが浮き、湖畔ではキャンパーがテントを張り賑やかです。

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北竜湖は自然湖で形がハート形をしているので恋人たちの隠れたメッカです。小菅神社も縁結びの神様
良い出会いが期待できるかな。

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また、湖畔には周遊コースが用意されていて、ゆっくり歩いても1時間程度です。

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湖畔にはレストハウスもあり、その前に30台ほど止められる駐車場があります。無料。この日は満車状態でした。

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湖畔のベンチに座って、弁当を開きます。ここまで35キロのほぼ幟の道をはしってきましたのでお腹がペコペコ。自然の景観を肴に「いただきます。」

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肴です。

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キャンプ場も広くはないですが湖畔にあり、カヌーを楽しむ人たちのメッカになっています。この日もカヌー教室が開かれていました。

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北竜湖資料館。江戸時代後期に建造された、飯山の旧家を移築し、現在全国の郷土玩具、民具類を常設展示しています。 この日は「ロシアの家具や食器の特別展」が実施されてました。入館料300円。屋根は今冬の大雪で壊れたそうです。豪雪地帯の厳しさを垣間見ます。

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野沢温泉の方向に下ります。

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野沢温泉に向かう県道38号線が見えてきました。

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県道38号線に出ました。県道38号線から下ってきた道を振り返ります。

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県道38号線を横切り野沢温泉に広がる田圃の中を走る道を調子よく下ったら、なんと、道が途中で途切れて登り返す羽目になりました。

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やっと、田圃の中をまっすぐに走る道に戻り快調に走ります。

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野沢温泉から国道117号に下る急坂を高速で下ります。

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途中に野沢温泉の象徴の巨大な道祖神がたっていました。道祖神は路傍の神。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、旅や交通安全の神として信仰されているもので、 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっています。この道祖神も野沢温泉集落の入口に立っています。

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オーストリアのサンクト・アントンと野沢温泉村は姉妹都市のようです。サンクト・アントンはチロル州とフォアアールベルク州の境目にあるアールベルク峠で最も観光客の宿泊数が多い村で、「アルペンスキー発祥の地」として知られています。標高1304mにあり、人口が約2600人と小さな村ですが、10000以上のベッド数を誇り、毎年110万泊以上の観光客宿泊数を記録するオーストリアを代表するリゾート地だそうです。野沢温泉村も760戸の集落のうち500戸以上の民宿や宿泊施設のあるスキーの村です。

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下っていくと道の先にまだ雪をところどころに頂く関田山脈が美しいです。

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国道117号に合流すればスタート地点まで5キロ足らず。湯滝橋を渡り来た道を戻ります。爽やかな風が疲れた体を押してくれます。このコースはアルバイトも結構あり、風光明媚でお勧めです。

◎北竜湖(ウィディペギア)
長野県飯山市の北東に位置し、三方を山に囲まれ、季節ごとに違った景色を見せる神秘的な湖。周囲を走る断層と、火山の爆発によってできたくぼみに水がたまってできた天然湖である。古くは北竜池、早乙女池と呼ばれた。豪雪地帯にあり周囲2.4ヘクタールほどの面積から雪解け水や雨水を集め、春は満々と水を湛えている。春に咲く湖畔の菜の花畑は有名。また、湖の形がハート型をしており、恋愛成就のスポットとしても知られる。長野県の自然百選の一つでもあり、湖では釣りやボートのほか、周辺を散策して楽しめる。湖の対岸には七福神も祭られており、ボートで渡るにはほどよい距離。

2015.4.26「飯山の農的生活 豪雪の爪痕 屋根の修理」

「飯山の農的生活 豪雪の爪痕 屋根の修理」

今冬の豪雪は平成18年の18豪雪以来の大雪。初めての古民家生活で12月以来この豪雪の中週末は除雪三昧となりました。とにかく、屋根の雪が根雪とつながると屋根を引っ張って壊すというので3m近い雪との格闘でした。
春になり雪が融けるとその爪痕が格闘にもかかわらずそここにあらわれていました。

特に、屋根のてっぺんの横木が落下して融けた雪から出てきたのにはびっくり。

雪融けを待って、屋根の修理を懇意にしている工務店に依頼。

その結果、4月末に屋根の修理が終わりました。とりあえずこれは応急修理で、屋根のてっぺんに乗っている船の底のような梁がかなり腐っていて、張替が必要とのことでした。この応急修理で2-3年は持つがその後は修理が必要とのことです。40万近くかかるとのことです。やはり、古民家はリフォームに相当なお金が必要です。屋根は売主から10年は大丈夫と聞いていたので今回の修理代と合わせてばかになりません。

今の愛車を買ったときにディーラーに言われましたが「燃費」を気にする人はこの車にのったらだめだよ。」と同じで、「リフォーム代を気にするのでは古民家は買わない方が良いです。」かな。

しかし、雪の破壊力は雪崩で経験済みとはいうもののすさまじい。

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かなり修理箇所が増えました。横木は腐った一本が落下。さらに、修理・点検で落下する危険のある3本を取り除きました。この横木は飾りのようなもので特段なくてもよいそうです。昔の屋根のなごりということでした。

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こんな大雪でした。屋根が壊れないいほうがおかしいです。
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屋根のてっぺんの梁の雪だけは取れません。これが積もって落下するときにトタンを引っ張ったようです。その結果、トタンに隙間ができて水が入り中の梁木のが腐ったようです。

2015.5.2「天地人の地 坂戸城祉を行く」

「天地人の地 坂戸城祉を行く」

上杉謙信の居城の春日山城は飯山からは国道292号線で富倉峠を越えた新潟平野に広がる上越市高田にあります。春日山城では上杉謙信の急逝を受けて、1579年に北条氏から謙信の養子となった景虎と謙信の姉の子景勝との間で家督争いがありました。雪で北条家からの援軍も望めない中で御館にこもった景虎軍は落城します。この時の家督をついだ勝者が生まれた地を訪れてみたいとゴールデンウィークの初日に越後上田庄、現在の六日町市まで足を延ばしました。この景勝とその家臣直江兼続の話はNHKの大河ドラマの「天地人」の題材ともなりました。

国道17号を六日町に向かいます。六日町駅前の交差点を右折すると上杉景勝と直江兼続が育った坂戸城址があります。坂戸山山頂(標高634メートル)に天守を持つ広大な城址です。先日、テレビでこの山の登山道を整備する老夫婦のドキュメンタリーがありましたが六日町の人たちは必ずこの山に登るそうです。山頂からはすばらしい景観がえられるとのこと。この日もゴールデンウィークということもあり、登山口の駐車場は満車で登山客であふれていました。

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六日町の駅前の商店街を通過中。しかし、人がいないなあ。

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魚野川を渡ります。

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登山口の駐車場が満車であったので少し離れた臨時駐車場に向かいます。そうしたら、駐車場前にシダレザクラ。

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登山口の近くに坂戸城の堀跡がありました。

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堀は巨大で城をぐるりと囲むように掘られていたことがわかります。

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現在はこの地図の赤い線が残されていました。

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近くに上田長尾の歴代城主の墓所があるというので行ってみました。長尾政景や上杉景勝、直江兼続が眠っています。登山口から1Kほど歩きます。

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至る所にこの看板があります。こんなところにも出てくるのか。坂戸山にのぼるにも熊鈴は必需品ですね。

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お茶をたてる湧水跡です。

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歴代の上田長尾城主の墓所につきました。墓所の手前に蕎麦屋。

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「兼続庵」。ネットで調べると大変な名店とのこと。これは食べなければと参拝後にと思っていたら、準備中

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蕎麦屋の横の道を行くと墓所がありました。歴代城主が静かに眠っています。

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直江兼続の墓。上杉景勝の参謀で辣腕をふるった。徳川家康にまでも反旗を翻した戦国の猛将です。「愛」を冠した兜は有名。

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「御館の乱」で上杉謙信の家督をついだ景勝の墓所。

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上田長尾氏の初祖。長尾景実の墓所。

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細かくて見えません。拡大してご覧ください。

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ひときわ大きな墓所は上田長尾の基礎をきづいた長尾政景の墓所。

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墓所の周りにはショウジョウバカマの群落。

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山に登ってもこれだけの見事な群生は見たことありません。、ユリ科の多年草で北海道から九州までの、やや湿った場所に生えます。人里近くの田んぼの畦道から高山帯の高層湿原まで生えているとは聞いていましたか゜人里でこれだけの群落を見るのは初めてです。まるで、長尾政景を守っているようです。

◎坂戸城(ウィディペギア)
新潟県南魚沼市に存在した大規模な日本の城(山城)。坂戸山山頂(標高634メートル)に本丸、麓に平時の住居跡の遺構が見られ、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置すした。1979年(昭和54年)6月11日、国の史跡に指定。上田長尾氏ゆかりの城として知られており、長尾政景や上杉景勝、直江兼続の居城として名高い。上杉謙信の姉仙桃院の嫁ぎ先でもある。また上杉景勝が会津へ移され、かわって堀氏が越後に入ると、堀直寄が坂戸城主を務めたことで知られる。


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◎御館の乱(ウィディペギア)
天正6年(1578年)3月13日の上杉謙信急死後、その家督をめぐって謙信の養子である上杉景勝(実父は長尾政景)と上杉景虎(実父は北条氏康)との間で起こった越後の内乱、お家騒動。御館とは、謙信が関東管領上杉憲政を迎えた時にその居館として建設した関東管領館のことで、春日山城下に設けられ、後に謙信も政庁として使用した

2015.5..17「飯山の農的生活 米作り初体験 畔の草刈りⅡ」

「飯山の農的生活 米作り初体験② 畔の草刈りⅡ」

5月中旬には周りの田では代掻きが始まりました。代掻きとは、田起こしが完了した田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業です。師匠は自分の田では代掻きを始めましたが私には畔の草刈りをするように言われ、今週は草刈です。まだ、購入した耕運機も納入されていないので、もっとも、代掻きはできません。2つある田の二枚目と耕作放棄地となっている畑の草刈りを続けてやります。

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田起こしした2枚目の田圃です。

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草がぼうぼうに生えています。カメムシの巣になりかねません。

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草刈り機のエンジンかけて草を刈ります。

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畔を一周します。というより、3周ほどしました。

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続いて、耕作放棄地の畑の草刈り。こちらはすさまじく雑草が伸びています。

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いや、気持ちがスカットします。一払いで雑草が刈られていきます。

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朝、6時から初めて二時間ほどたちました。陽が昇り暑くなります。

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すっかり、きれいになりました。

いよいよ、来週は難しい代掻きです。どうなることやら。師匠に怒られても、我が道を行くです。いや、師匠の指導についていかねば。

◎畔の草刈りの目的
斑点米の原因となるカメムシ類は畦畔等のイネ科雑草の穂で増殖し、イネの出穂とともに水田に侵入することから、畦畔の草刈りを適切に行うことが重要である。
1)水田畦畔の草刈りを,水稲出穂3週間前、出穂期、出穂3週間後の3回行うことにより、カ
メムシ類の発生量と斑点米混入率を低く抑えることが出来る。
2)畦畔沿いから5~10 条分を区分収穫することにより、収穫物全体の斑点米混入率が減少する。

2015.4.29「地元の居酒屋とんぼ亭で新筍で一杯」

「地元の居酒屋とんぼ亭で新筍で一杯」</span>

急に春の味覚筍が食べたくなり、夕食がてらに地元の居酒屋トンボ亭に。結構、いつも混んでいるがテーブル席を確保。まずは、日本酒。正一合 司牡丹500円、土佐鶴600円、酔鯨630円の高知の酒を飲み。続いて富山の銀盤500円を注文。締めに新政600円というと。なにやら、主人が申し訳なさそうに、新政は経営方針がかわったのか降ろす先を限定したとのこと。「あらまあ」。それではと同じ秋田の酒「阿桜」650円を。新政の話は残念。六号酵母で次々とすっきり系のお酒を提供してくれているだけに残念な話。

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日本酒はいろいろあります。

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本日の付け出しです。サツマイモの煮付けとこんにゃくと鮭のぴりからあえ。日本酒はまずは銀盤を注文。

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店は 比較的空いていて、いつもいっぱいのテーブル席は満席て゜すがカウンターはこんな状態。女性の店員もいなく、主人と若い兄ちゃんの二人で切り盛りしてました。

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とことん野菜サラダ630円。まずは健康を考慮。

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鶏とネギみその自家製ラー油あえ。これは意外とおいしかった。鶏肉でカロリー控えめ。

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真打。今夜の目的。ありました。筍。新筍と木の芽のみそ和え690円。やはり、春は筍でしょう。

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最後は鮭のはらす。600円。すっかり、良い気持ちになりました。食事のカロリーを考えていながら、日本酒がぶ゜がぶでは意味ないですね。

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最後に、いつものように、口直しの味噌汁が出てきました。これはさっぱりしていいんだよね。さらに、パイナップルの輪切り。うれしいです。

「筍に 季節感じて 飲みすぎる」 BY まうんてんぼーい

◎「とんぼ亭」
 ℡03-3921-8081
 東京都練馬区東大泉5-36-12 森川ビル102
 大泉学園駅徒歩2分 大泉学園駅南口向かって左に線路沿いを歩く。207m。
営業時間 [火~土]17:30~26:00 日曜日は17:00~24:00

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2015.5.17「飯山の農的生活 我が家に耕運機がやってきた」

「飯山の農的生活 我が家に耕運機がやってきた」

週末の田舎暮らし。今年から初めての米作り。いよいよ、購入した耕運機が納入されました。納入時にいろいろと操作をおしえていただき、ビデオにも撮ったのですが、いざ使おうとビデオを再生すると「なんと」写っていない。撮影に失敗。それではと三菱農機の取扱書のサイトにアクセス。「WEBページメンテナンス中」の文字。「ガーン」
うる覚えのなか、耕運機の整備にとりかかります。不安いっぱい。

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まずは車庫から田圃の近くまで移動させます。耕運機にはブレーキというものがないので坂道でうかつに止めると後ずさりします。ブレーキがないのが不安です。止めるにはクラッチを解除して止めます。三菱農機製テーラーMS67型です。あまり使用されていないものを飯山エコーさんが提供てくれました。カゴ車と田圃を平らにする道具を合わせて15万円でした。

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まずは田圃のそばの平らなところに持ってきました。これから、タイヤを外して、カゴ車をセットします。カゴ車は田圃を押さえつけて平らにする機能と草や藁を土に混ぜ込みます。

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カゴ車を持ち出しました。

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さて、作業にとりかかります。不安いっぱいです。なにせ、うる覚えでやるのですから。

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なんとか、格闘の末に、カゴ車を取り付けました。

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さらに、後ろに、田圃を平らにする鋤をつけました。鋤を本体とつなげる金具が見つからずに往生しましたが。本体の道具箱に入っていることを思い出し事なきを得ました。

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いよいよ、準備完了です。田起こしした田圃に水を張り、耕運機を入れて代掻きを始めます。どうなることやら。

愛車の耕運機には「まうんてんぼーい一世」と名付けました。頑張れ、「まうんてんぼーい一世」、田圃をうまく掻いてくれ。





2015.4.16「大塚に絶品の担担麺を発見!上海チキンも!」

「大塚に絶品の担担麺を発見!上海チキンも!」

大塚は知る人ぞ知る有名な居酒屋がひしめき合う地。大塚四天王などという言葉があるくらいに名店が多い。その中に、担担麺を食べるならここという店あり。早速、おいしいという噂を確認するために愉快な仲間と行ってみた。その店は大塚駅を出て居酒屋四天王などがひしめく地域の一角にありました。そう、大塚駅前のある一画に名店がひしめき合ってます。まさに、大塚の食のゴールデントライアングルともいうべき地域。

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小閣楼。看板を見ると担担麺以上に上海チキンが自慢の店らしい。

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店先からも鶏がぶら下がっていました。

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入るとカウンターとテーブル席がいくつかあるそれほど大きな店ではありません。しかし、女性客が多い。これは、期待できます。女性同士が多い店は経験上美味しい店が多いです。

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メニューも豪快。まずは焼き餃子を注文。もちもちでおいしいに期待が膨らみます。

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形はぎょうざというより、春巻きみたいなのが出てきました。一口含むと中からうまみの汁が口の中を覆います。触感はまさにもちもち。まいうー。

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蝦と白菜炒め。エビが良く効いています。

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空芯菜の炒め物。これは定番。美味しい。

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いよいよ真打。上海チキンが登場。 表面はパリッ、中はジューシー、肉汁があふれ出ます。上海ダックよりはるかに旨い。

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唐辛子に、隠し味に山椒が入っているようです。

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最後に目的の担担麺。ピリッとしますがコクがあり、汁をすべて飲み干してしまいました。それほどおいしい。佚メニューもおいしそうでしたが本日はここまで、また、来ることを誓って店を後にしました。

◎小閣樓
 TEL  03-3981-4443
 住所 東京都豊島区南大塚3-52-8
交通 JR大塚駅徒歩1分
営業 〔月・水・木・金・土日祝〕 11:00-23:00
定休 火曜日









2015.5.9「春先の残雪残る山に。その前に金峰山荘でトラブル」

「春先の残雪残る山に。その前に金峰山荘でトラブル」

春先の残雪残る山に愉快な仲間と行きました。どこに行こうかと悩んだ末に近場の百名山の金峰山に。計画では土曜日に登山、下山後、本日の宿「金峰山荘」で大宴会の予定でしたが、朝から空は高曇りから怪しげな雲も湧きだします。天気図を見れば日曜日は高気圧に覆われピーカンが予想されたので計画を変更し日曜日に登山に決定。ということで、あわてずにゆっくり金峰山荘に向かいます。
山梨市役所牧丘支所のあたりから、県道柳平塩山線を進みます。 乙女湖の分岐を、林道川上牧丘線方面へ進み、ずっと登っていくと、登山口の大弛峠へ到着します。しかし、林道川上牧丘線は冬季閉鎖で6/1から開通します。
金峰山荘に到着。しかし、ちょっと様子がおかしい。これは山梨側からの金峰山の登山口。大弛峠までいけないとここからでは大変なアルバイトを要します。愉快な仲間とワイワイと話している間に間違ってきてしまいました。金峰山荘は山梨県と長野県にあります。我々の本日の宿は長野県側の金峰山荘です。本日は山に登らないので時間的余裕があり良かったです。カーナビで行くときは気を付けましょう。
結局こんなことをしていたので12時には着けるはずが16時ころになってしまいました。

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金峰山荘の入口です。駐車カードを獲って入ります。「廻り目平キャンプ場」も併設されています。

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金峰山荘。間違いありません。

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早速チェックインします。明日の登山に備えて、風呂に入った後、宴会を始めました。

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つまみとしてもってきた「こごみ」と「ほったらかし菜」のおひたし。

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新政酒造の「亜麻猫」。日本酒というよ、白のスパーリングワインといったほうがよいかな。

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奥秩父のヤマに特有の岩峰林立です。

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すっかり出来上がったころに夕食となりました。なかなかのごちそうです。

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山菜の天ぷら。こしあぶら、コゴミの天ぷら。

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イワナの焼き物。

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すっかり、酔いが回り、お腹も膨れて、空を見上げれば快晴。天気判断はOK。明日の山行を楽しみに、8時半に爆睡。明日は4時起床です。

〇亜麻猫
新政酒造
秋田県 秋田市大町6-2-35
TEL 018-823-6407

■原料米:秋田酒こまち(秋田県産)
■精米歩合(米の磨き具合):40%(麹米)、60%(掛米)
■酵母:協会6号(新政酵母)
■日本酒度:-15
■酸度:2.2 ■アミノ酸度:0.8
■アルコール分:15%(原酒)

 「亜麻猫」とは-焼酎造りで用いられる白麹を用いて醸したお酒です。今年で第六世代を迎える当蔵を代表する酒の一 つ。 白麹は多量のクエン酸を生産する麹菌です。これを用いることにより、「亜麻猫」は、特徴的な酸味と有する日本酒となっている。
 
◎金峰山荘
 信州川上郷 金峰山荘 廻り目平キャンプ場 ふれあいの森
長野県南佐久郡川上村大字川端下(カワハケ)546-2
TEL.0267-99-2428

2015.5.17「飯山の農的生活 米作り初体験 代掻き」

「飯山の農的生活 米作り初体験 代掻き」

週末の田舎暮らし。今年から初めての米作り。いよいよ、購入した耕運機を使って代掻き。耕運機を代掻き用にタイヤをカゴ車に変え、田圃を平らにする鍬を連れ家ていよすいよ田圃に。米作りの中でも最も重要で難しいと私が感じた作業が始まりました。始めた当初はそんなことも考えずに田をならすぐらいの勢いで始めました。代掻き作業は田起こしが完了した田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕き、丁寧に掻き混ぜて、土の表面を平らにする作業です。
具体的には代掻きには次のような目的・効果があります。
1.田んぼの水漏れを防ぐ。
2.土の表面を均して、均平にし、苗がむらなく生育するようにする。
3.苗を植えやすくし、苗の活着と発育を良くする。
4.元肥をむらなく混ぜ込む。
5.藁や雑草を埋め込む。
6.雑草の種を深く埋め込むことにより、雑草の発芽を抑える。
7.有害ガスを抜き、有機物の腐熟を促進する。

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耕運機は代掻きバージョンに変身させました。

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早速、田起こしして、少し水を入れた田に入り、代掻きを開始します。

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耕運機は快調に代掻きしていきますが長靴が田に獲られて、私がついていけません。

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それでもスピードを調整しながら縦横無尽に代掻きをします。

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あまりに長靴が田にはまるのでしばし休憩。そこに師匠が様子を見に来て、「その」長靴ではだめだ」。と、駄目だし。なんと、田植え専用の長靴があるとのこと。足にぴったりフィットして脱げないらしい。とりあえず師匠のをお借りしました。

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右足が田植え用の長靴。左足は普段履いている長靴。

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どうしても平らにできない場所がありましたがとりあえず終了と判断。水を入れました。陽もすでに傾き、田面が夕日で赤く染まりました。

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もう一面は明日にして、活躍した耕運機も地上にあげました。耕運機のスピードは最初低速でやりましたが、途中から高速にしました。

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あっという間に田は水でおおわれました。少し、田圃のようになりました。水平にうまくできずに残念。

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翌朝、6時から作業開始です。道路をはさんだところにある田に耕運機を移動させます。

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田起こしした田圃。

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耕運機を田に降ろします。

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張り切ってやるぞと気合を入れて、代掻きをスタート。

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耕運機は快調に進みます。眼をあげればその先に美しい田園が。

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クラッチは高速に入れ、ギアは1-2段で。

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こちらも完全に平らにできずに一部深いところができてしまいましたが、水入れ終了。

耕運機がやってくれたとはいえ、運転は結構疲れます。トラクターに取って代わったのはなんとなくわかりました。米作は手間暇をかけて、お金をかけていることを痛感。米作りのこのプロセスが楽しめないと除雪と同じでつらい仕事となります。
次はいよいよ田植えです。代掻き後、3-5日でやるのが理想とされていますが、週末農業なので6日後です。




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